29歳の時、「もう三十路だ!どうしよう~!」と大騒ぎをして周囲のお姉様達からひんしゅくを買っていたのがついこのごろに思えるのに、気づけばアラフォー。そしてさらに気づけばもうアラフォーでさえなくなり、アラフィフに足を踏み入れていた。

 

「アラフォー」という言葉が生まれ、40歳周辺を指す表現がちょっとおしゃれになった。一見おしゃれだが、40歳は40歳。当初はおしゃれに言えば言うほど往生際が悪そうな印象を受けていたが、今やすっかり「ええ、アラフォーですが、ふふふ…」と胸を張っている。張っているのだが、なんと!いつの間にか私はアラフォーでさえなくなっていたのだ。

 

そう、今の私はどう分類してもアラフィフだ。グッバイ、アラフォー。ハロー、アラフィフ、だ。

 

私が着々とアラフォーライフを送っている間に、世の中にはいつしかアラサーなどという言葉も出来ていた。あんなに三十路になることを嘆いていた私だが、アラサーなんて紛れもなく、まだまだ若さあふれる青春まっただ中ではないか。29歳の私に説教して、若い日々を嘆きで無駄にするな!と諭してやりたい。

 

あと10年ほどすればアラシス?などと思っていたら、先達はぬかりなく、「アラカン」という言葉をすでに創出していた。アラフィフまでは西洋的言語から派生した言い方だが、アラカンは「還暦」という東洋のエキゾチックな干支の思想を取り入れた表現だ。60歳ともなるとアジア的思想に回帰するのだろうか。どちらにしろ10年後にはまた新たな世界の幕が開くのだ。何しろ干支が一巡するぐらいだから。退職から年金支給までの暮らしの心配もしなければならないし。(そもそも退職までちゃんと勤められるかもかなり不安だ。)

 

アラフィフの響きにひるんでいる内、時間はあっという間に過ぎてしまう。そんな風に思っていたら、アラフィフがどんどん愛しくなってきた。アラフィフ万歳!アラフィフ同志の皆様、そしてアラフィフではない方々も、健康で充実した今を大切に生きましょう。そう、これからの人生で、今が一番若いのだ。