脈診という概念と初めてであったのは韓国の時代劇「チャングムの誓い」を見た時だ。

 

なんと脈にふれただけでその人の体の調子がわかってしまうというのだから不思議ではないか。それ以来、私の心のどこかに東洋の神秘、脈診への憧れが芽生えた。

 

そして現在、私はある病気で漢方医にかかっている。最初は「手術しちゃった方がいいのに。ラクになるよ~。」などと漢方医らしくないことを言っていた先生も、処方された漢方薬をしっかり飲みきり、毎月診察に通う私のまじめな患者ぶりのせいかすっかり親切になった。最初は脈もとってくれなかったのに、最近は毎回脈をとり、「うん、いいですね。」などと優しくコメントしてくれる。

 

「本当に脈を取っただけで体の状態がわかるのか。」という疑惑をお持ちの方もいるだろう。私もどこかで「いや、まさか…でも…。」などと密かに心は揺れていた。しかし、先生が「おなかがはりませんか。」「風邪気味ですね。」など、ギクリとするほど私の体調を言い当てる度、「はー、さすが東洋の神秘!」と恐れ入らずにいられないのである。

 

漢方薬の発想も私は好きだ。漢方薬の効能は「これとこれに何の関連が?」と理解不能な取り合わせだったりする。全体の流れを整えることで不調を改善する。そのことで一見無関係な異なる症状が良くなる。素晴らしいではないか。昔アメリカ人英会話講師にそれを伝えたところ、「え?結局何に効くわけ?そんなの薬じゃないじゃん。意味わかんなくね?俺は頭痛薬を飲むぜ。」みたいなことを言って、「漢方薬スバラシイデスネ~」という感想を期待していた私を大きく失望させた。全体の中に個々の症状あるのだと考え、全体を整えることで個を改善するよりも、個をピンポイントで改善したい。これが個人主義というやつか。

 

全体の調和とか、自然との共存とか、気を整えるとか、そんなことを大切にする東洋的世界観、私は素晴らしいと思うけど。