魂のピアニスト、逝く | Lunasa

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先日放映された『魂のピアニスト、逝く』を観ましたか?


ピアニスト、フジコ・ヘミングの追悼番組です。

 

 

フジコさんが亡くなる5年前から、NHKは取材していたそうです。

 

 

お母さんが残してくれた、フジコさんの日本のご自宅。

 

お母さんがドイツから持ち帰った古いピアノが、今も置いてありました。

 

彼女はこのピアノを弾き、演奏活動を続けてきました。

 

 

以前、フジコさんが有名になるきっかけになった番組にも猫ちゃんが沢山出てきましたが、亡くなる直前まで、猫ちゃん達と生活していたんですね。

 

24匹の猫と一緒に住んでいたなんて、ビックリ!


 

フジコさんは1931年スウェーデン人のお父さんと、日本人のお母さんの間に生まれました。

 

弟のウルフさんは、2020年に既に他界されていました。

 

 

お母さんは若い頃、ドイツに留学してピアノを学び、そこでお父さんと出会って、フジコさんはベルリンで生れました。

 

その後、家族揃って日本で生活を始めますが、お父さんは行き詰まりを感じ、母国に帰ってしまいます。

 

お父さんが去った後、お母さんはピアノ教師をして、2人の子を育てあげます。

 

 

お母さんのフジコさんへの思いは、相当なものだったと別の番組で語られていました。

 

とても厳しくピアノの指導をしたそう。

 

ピアニストになるという、自分の夢を彼女に託したんですね。

 

 

その甲斐あってか彼女は芸大に入学し、母が学んだドイツへの留学を夢みます。

 

そして、念願の留学のチャンスがやってきた時、国籍がないことが判明します。

 

戦争の最中、それどころではなく、手続きをしていなかった為でした。

 

 

大使館に勤務していた知人のお陰で、どうにかドイツに渡ることは出来ましたが、周りの日本人留学生達は皆冷たかったそう。

 

そんな中頑張って、やっと手にしたチャンスを風邪をこじらせ、拭いにしてしまいます。



あの巨匠バーンスタインに認められ、ウィーンでコンサートを開く予定でしたが、公演は中止となり、彼女の未来もそこで閉ざされたかのように思われました。


※今、違う動画を観たら、コンサートは開かれ、散々な結果だったと言ってましたが、どっちだったんでしょうね?

 

その後、日本へ戻り、1999年に彼女のドキュメンタリー番組が放映され話題となり、沢山の観客が彼女の演奏を聴きに来る様になりました。

 

 

2022年、自分が老いて動けなくなる前にと意を決して、フジコさんはずっと夢みていたショパンゆかりの地、マヨルカ島を訪れます。

 

ショパンとその愛人であるジョルジュ・サンドが逃避行した時、滞在した修道院。

 

そこで、フジコさんはコンサートを開きました。

 

 

そして、日本に戻った後、彼女の代名詞であるラ・カンパネラの作曲者、パガニーニとリストゆかりの地で、コンサートを開くという計画を進めることに。

 

高齢の自分に残された時間はそう長くはない、ピアノが弾けるうちに実現したいという強い思いがありました。

 

 

しかし、コンサートの準備をしている最中、2023年11月に自宅の階段から転落し、重症を負ってしまいます。

 

信頼していたバイオリニストのバスコさんや、指揮者のコシックさんの協力のもと、コンサートを行う予定でしたが、入院する羽目になってしまいました。

 

 

92歳の誕生日の2日後、バスコさんが病室にお見舞いに来てくれました。

 

ケーキを持って来てくれて、皆で誕生日の歌も歌ってくれました。

 

フジコさんも一緒に歌いました。

 

 

年をとってから骨折をすると命取りって言いますけれど、フジコさんも入院してから急激に弱っていきました。

 

耳も聴こえなくなり、目も見えなくなっていったそうです。

 

 

それでもコンサートを開きたいと、電子ピアノを持ち込みますが、やはり電子ピアノではね。

 

病院の計らいで、グランドピアノを弾くことになりますが、最後に自らピアノの蓋を閉め、これが最後の演奏となりました。

 


グランドピアノを弾く前には、こんな言葉も口にしていたフジコさん。


多分、もう弾きたくない。。。


この言葉、、、


楽器と向き合うことは、自分の限界を思い知ることとなり、かつての様に弾けない自分からは、目を背けたかった筈ですよね。

 


フジコさんは弱っていき、コンサートを開くことは難しくなりました。


ヴァイオリニストのバスコさんは、一人コンサートが開かれる筈だったイタリアジェノバの教会に赴きます。

 


誰もいない教会でバスコさんはヴァイオリンケースを開き、楽器を奏ではじめました。


曲は、あのパガニーニのラ・カンパネラ。

 


教会には、古いピアノが置いてあり、バスコさんはそれを見てフジコさんを思い出します。


演奏が終わり、フジコさんの回復を祈るバスコさんの後ろ姿に、彼女への深い思いを感じました。

 

 

バスコさんの祈りは、残念ながら神様には届きませんでした。


ピアノに生涯を捧げたフジコさん。


今頃天国で、心の恋人ショパンと語り合っているかもしれませんね。


 

あれはいつだったかな?


美輪さんが、テレビで再びもてはやされ始めた頃のお話。


美輪さん、ある番組でえなりくんに凄い高飛車な態度で接していて、若かりし頃の美輪さんを知らないアスランは、何この人凄い感じ悪い、えなりくん可哀想って思いました。


 

朝ドラ、ブギウギでも演奏していましたが、えなりくんはピアノが弾けるでしょ。


ゲストのフジコさんの前で、えなりくん弾いてみなさいよって、美輪さんが意地悪く言いました。


えなりくんは、美輪さんの態度に嫌な顔一つせず、嬉しそうに演奏を始めました。


そしたら、フジコさんはとても良いじゃないって、微笑まれて。


そして、次に美輪さんをテレビで観た時、美輪さんは別人になっていたのびっくり


そう、現在の美輪さんになっていました!



かつて美青年で、売れていた美輪さん。


しかし、時代とともにテレビに出る機会も減り、いわゆる売れない時期を経験し。


又注目を浴びた時、やはり気持ちがかなり大きくなっていたんだと思う。


傲慢そうな人だな…って、思いましたから。


でも、誰に対しても態度を変えずに接するフジコさんを見て、衝撃を受けた顔をしていました。


凄い、焦っている様にも見えました。


でも美輪さんのこと、大したことないじゃないとは、アスラン思いませんでした。


フジコさんは、王様の前でも浮浪者の前でもきっと同じ態度で接すると思う。


美輪さんには、そんなフジコさんがまぶしく見えたと思う。


食べる物に困る程、どん底を体験してもブレることなく、フジコさんはフジコさんであり続けた。


この人は、本物だ!


自分も変わらなくちゃ!


そんな心境の変化があったんじゃないかな?


なーんて、勝手に憶測(笑)


売れた時に有頂天になって、坂を転がり落ちて行く人達を美輪さんは、沢山見てきたでしょうからね。


あれだけ短期間に良いと思えた人の良い所は、自分も!って変えられる、そして本物を見分ける目を持っていた美輪さんも凄い方なんだなってアスラン思います。



美輪さん、その後フジコさんとは仲良くされていた様で、 今寂しく思われていることでしょうね。


誰の前でも変わらない、自分軸のしっかりした人間に憧れるアスランですが、まだまだ修行が足りませぬのじゃ滝汗



今晩、NHKでこの番組を再放送するそうです。


深夜、0時35分からです。


フジコさん、コンサート生で聴けなかったけれど、母があなたのアルバムを何枚か買っておいてくれたの。


それを聴いて、もう一度自分の音楽と向き合うね。


まだ書きたいことあるけど、長くなるのでニコニコ


※画像お借りしました。