十二話:【決戦】へ

白旗のつもりか、必死に白いハンカチを振り続ける沢田を前に。
さて、どうしたものか。そう考え込む狐斗の耳に、足音が聞こえてきた。さすがにあれだけカラスと、ヒノモトが騒げば中にも聞こえたのだろう。振り向いた狐斗の目に、駆けつけてきた仲間の姿が映った。

駆けつけてきた千尋達が見たもの、それは巨大な、鳥のものだとしたら(そうとしか見えなかったが)あまりにも巨大すぎる黒羽根を持ち、悔しさと呆れの入り混じった表情の狐斗。そして、その目の前で、必死に、懸命な顔で白いハンカチを振り続ける四天王の一人、沢田だった。
「…一体、何が有ったのですか?さっきの声は何事です?」
新の質問に、狐斗がいきさつを簡潔に説明する。
「では、この人はもう戦うつもりが無いということですね。なら、これからの予定を立てるためにも、よくお話を聞きませんとね。ね?蓮水」
だいたいの事は判りました。うなずきながら、千尋に振り向く新。
「そうですね。そう言えば、似たような事が数日前にも有りましたね。私、腕が鳴りますわ」
にっこり笑い、返事をする千尋。その言葉に、トラウマでも甦ったのか、
「…はぅ」
と何故か胃を押さえて倒れ込む染井。泣いている。がっくし、と俯いて泣いている。
「そうとなれば、朝はまだ冷え込みます。沢田。暖かい場所を提供してくれませんか?時間がかかるかもしれませんので」
時間が掛かる。何に?とは問うまでもないだろう。何故自分の尋問の為に、長時間尋問を可能にする為に、尽力せねばならないのか。そんな気持ちが、無かった訳もないが、もしかしたら、多少は、有ったが。どちらにしても沢田に拒否権は無かった。弁護士を呼ぶ権利もないようだった。黙秘する権利はどうだろう?
それでも、ぺこぺこ頭を下げる沢田。
「で、ではこちらへ。さささ。あ、足下悪いですからお気を付けて?」
どうやら素直に建物の中へ戻るらしい。そして、プライド無いらしい。まるで絶対服従の様子だった。
自信を持って呼び出した骸骨兵、沢田にとって最強の切り札。それがどうなったか。その惨状が頭から離れないのだろう。完全に怯えていた。目を合わそうともしない。目が合いそうになると、さっと逸らす。そしてその先に居た染井と目が合いそうになって、今度はお互いに目を逸らす。そんな事を繰り返している。
やれやれ。まあ、変に反抗心残ってるよりはましか。若干苛つきつつも、何とか納得する狐斗達だった。

建物の中に戻り、二階への階段を登る。沢田の話によると、ヒノモトはこの奧に逃げ込み、二階のその部屋から呼び出したカラスに乗ったらしい。だとすれば、この扉を開けなければ奧へは入れないことになる。
「じゃあさっさとこの扉開けな」
「はい!直ちに!」
めんどくさそうに言う狐斗に、絶対服従の様子の沢田。そそくさと扉の前に立ち、手を掛ける。掛けるが。
「あ、鍵…」
どうやら持っていないらしい。そういえば、ヒノモトが逃げる時、鍵の掛かる音がしたような。
「…」
沈黙が広がる。そこへ、すっと無言で上げられる新の手。その手には、鍵開けセットが掲げられていた。
「おおー」
ぱちぱちぱち。思わず拍手する一同。
拍手と期待の視線に囲まれて、無表情に扉を観察する新。しばし後、取り出したピッキングツールをシャキーンと構え、扉の前にしゃがみ込む。
待つ事数秒。
がちゃん。
ずいぶんあっさりと一仕事終えて立ち上がる。
「とても古い鍵で幸いでしたね。最近の鍵ではこうあっさりとはいきません」
あなた達は何者ですか。いくら古いと言っても、普通鍵を開けられる人はいませんよ?それ以前に、なんで鍵開け道具なんて持ち歩いてるんですか。思わず浮かぶその言葉の数々を、賢明にも飲み込む沢田。うかつな事を言えば身も心も打ちのめされそうだ。
まあ、それ以前に人の事は言えまいが。

扉を抜けた先、二階は一階に比べて天井が低めだが、それでも一般の建物よりも高い印象がある。本来はそれなりに広いであろうその部屋は、工具や機械類が混沌と散らばり、一階よりも雑多な感じを受ける。入ってきた扉の向こう、反対側の壁に開きっぱなしのドアを通して外が見える。本来は非常口なのだろう。見慣れたピクトの駆ける姿勢が見える。しかし、それが機能していたのも昔の事。今は階段も崩れ、地上に降りる事も出来ない。
もっとも、ヒノモト達はここからカラスに乗って逃げたのだから、ある意味非常口としての役割を果たした訳だが。

どうやらめぼしいものは何も無さそうな二階を抜け、三階へと上がる。
階段を上り、三階のその部屋に入った一行は、絶句した。
「うわぁ…」
目の前に広がる混沌に、染井の呆れかえった絶句の声。
床に転がる弁当のくず、ジュースの缶やペットボトル、果てはつけっぱなしのTVにつながれたPS2と各種クソゲー。うずたかく積もるゴミ達で床が見えない。
ここから先は幹部室だから。そう言われて入れてもらえなかった染井だが、今は心底そのことを良かったと思った。まさに惨状。出来れば、入りたくなかった。入れなかった今までの自分が、正直羨ましい。
混沌たる惨状、その中で。狐斗達はその部屋の一番奥、『立ち入り禁止』と書かれた木の扉に気付いた。
床に散乱する物体を蹴飛ばし、蹴散らし部屋の奥へと進む狐斗。
がしっ、ぱきっ。
とても足音とは思えない破壊音。さすがに沢田の顔が引きつるが、誰も気にも留めない。
蹴散らし、踏みつぶし、道無き床を進み、扉の前に立った狐斗は、沢田を振り返り尋ねる。
「で、この奧には何が有るのさ?」
「…」
沈黙を持って答えた沢田だが、瞬時に下がる室温に、鋭さを増した視線に、ビクッと震え、目を逸らしながらぽつぽつと答える。どうやら、判っていた事だが、黙秘権も無かったようだ。
「中は…ロンさんと総長しか入った事ないので…わかりません」
ロン。たそペンに魔術を持ち込んだ中国系の男、だったか。染井によると、大掛かりな魔術などは全てロンが仕切っていたらし。どうやら四天王とはまた別格の存在のようだ。
なるほどね。頷き、扉から少し離れて身構える狐斗。
「な、何を…」
沢田のその言葉を遮り、鳴る風切り音。狐斗の蹴りは鋭く大気を切り裂き、古びた木の扉を打ち砕いた。
がらがらがら。
砕けた木の破片があちこちに散らばり、倒れた扉の衝撃に埃が舞い上がる。
けほけほっ。
「ら、乱暴です…」
視界を塞ぐ埃に、咳き込む染井。
やがて、舞い上がった埃も落ち着く。しかし、その部屋は依然、薄暗いままだった。窓という窓は全て木で打ち付けられており、灯りと言えばその隙間から僅かに漏れる数条の光の筋だけ。
その薄暗い部屋の中央に、一目瞭然に怪しいものが鎮座していた。

一階にあった魔方陣を、そのまま小さくしたかのような装置。やはり同じく、八角形のその陣の中央には丸い鏡が鏡面を上にして置かれている。下にあったものと異なるのは、その鏡の上に厚紙で作られた四角い箱が有ることと、八角形のそれぞれの頂点に置かれた小石。手の平サイズのその箱とその下の鏡には、うっすらと埃が積もっており、しばらく動かされた形跡がない。それを言うなら、床に積もった埃が、この部屋にしばらく誰も踏み入っていない事を教えてくれた。
「あの鏡、一階にもありましたね。結局のところなんなのでしょうか?」
靂に注意を払いながら、すたすたとその鏡に近付く新。鏡の前まで来たが、何の反応もない。
「反応しませんね。封印が解かれた、ということなのでしょうか」
ふむ。と手に載せた蒼い石、靂を見る。
「沢田。新しいペンダントが有れば渡してくれませんか?靂の新しい家にします」
やはり、落ち着ける部屋は有った方が良いだろう。靂の、石のサイズなら、やはりあのペンダントは丁度良い大きさだろう。
「えっと…」
鏡に興味を無くしたらしい新に呼びかけられ、おずおずと部屋の角を指さす沢田。そこは入ってきた入り口の辺り、今にも崩れそうなぼろぼろの棚。その棚から、棚に置かれた同じくぼろぼろの段ボールから、『たそペングッズ』がはみ出していた。
たそペン旗、たそペンTシャツ、たそペンボールペン、などなど。何を考えているのかペナントまである。
「何処かの寂れた観光地のようですね。一体あなた達は何を考えているのですか」
目的のペンダントを貰いながら、冷ややかな声と視線を投げかける新に、目を逸らし俯く沢田だった。
全く何考えてんだか。貰って嬉しくないお土産ランキングでも見るかのような品々に、呆れかえりつつ、新の横に立つ狐斗が、その魔方陣を見詰める。
「んー反応無しか。ほんと、なんだろうね。下にあったののミニチュアみたいだけど、それにしてはお粗末だよなあ」
そう言いながら、鏡を取ろうと箱をどかす。その時。
ぐらり。
足下が揺れた気がした。地震ではない。一瞬で収まる目眩のような、あやふやな揺れ。
「なんだ…?」
様子を窺うが、何も起きない。
気のせいか?そう思いつつ、持った箱を目の前に持ち上げる。
軽い。まるで何も入っていないかのように軽い。
「なんだ、これ?」
狐斗はそう呟きながら、箱を振ってみる。何の音もしない。まるで空箱のようだった。
何でこんな空箱をあんな安置するみたいに?
そう疑問に思う狐斗の耳に、微かな電子音が聞こえた。
ピッ、ピッ、ピッ。
規則的な電子音、それは新のバッグの中から聞こえてくるようだった。
「何の音だ?」
「ああ。そういえば委員長から持たされていましたね、発信器。それが使えるようになったと言う事は…ふむ。柊、どうやらその魔方陣は電子機器を使用不能にする効果があるようですよ」
狐斗の問いに、バッグの中から規則的に電子音を発する発信器を取り出し、その液晶画面を見ながら推測を告げる。
「え!?このしょぼいのがっ!?」
一抱えほどの大きさの、小さな魔方陣が、そんな効果を?しかも、手の平サイズの空き箱を除けただけ、それだけで効果が無くなるなんて。あまりにもしょぼすぎる。信じられない!と驚きの声を上げる狐斗に、操作を促す液晶画面を見せる新。
「ええ。ほら、この通り。今、委員長に連絡をしますね」
ピッ。
GPSを操作し、電子音を止めてデータ送信を行う。
ピッ、ピピピ、ポーン。
データ送信完了を告げる電子音が鳴り、静かになる。
「多分、これでお迎えが来ると思います。帰りは歩かなくて済むはずですよ」
発信器をバッグに戻しながら言う新の言葉に、安堵の吐息を吐く狐斗達。
「やっとひとまず終了かぁ。正直、さすがに疲れたよ。さて、帰りは歩かないで良いとなれば…遠慮は要らないね!」
解き放たれた猛獣の笑みで、沢田を振り返る狐斗だった。

ミニ魔方陣の他何も無いその部屋を出て、荒れ果てた幹部専用室に戻る一同。
とりあえずそこらに転がるものを適当に脇に放り、積み上げ、簡単ながら座れる場所を作る。
「さて。じゃあ、気楽に全部話して貰おうか。ああ、大丈夫だよ。嘘吐いたり黙秘したりしなければ、何も痛い事なんて起きないから」
ニヤリと、猛獣の笑みでニコヤカに告げる狐斗。
つまり下手な事言えば痛い目に合う、そういうことだろうか。恐怖のあまりこくこくと赤べこも斯くやという頷きっぷりを見せる沢田。
「ん。良いね。人間素直が一番だよ。じゃあ、まずは新にかけられた賞金についてだ。あれはお前らの仕業か?」
「ち、違います!朝起きたら突然あんなニュースが流れてて、我々も何が何やらさっぱりなんです」
どうやら本当に何も知らないようだ。
「ふむ。じゃあ次だ。あんたら、なんであんな儀式をしようとしたんだ?はた迷惑な」
チッと吐き捨てるように。うんうんと、その狐斗の言葉にうなずく新に千尋。
「はた迷惑って、我々だって一生懸命ですね?あっごめんなさい!なんでもないです!えっと、儀式についてですよね?あれは、無名石に命と名前を与える為の儀式なんです。そのそも、『髪切り魔』から既に儀式は始まっていましてね…」
「長くなるようでしたら、短くまとめて頂けると嬉しいですわね」
沢田の、自分の世界に没頭しかけた話を、やんわりと、だが冷ややかに笑顔で遮る千尋。
「あ、すみません、ごめんなさい。つまり、応石は全て失われているので、一から新しく作ろうとしたんです。でも、そのためにはここで名前を付けてから、弓美島(※星祭りの舞台ともなる無人島。干潮時には浅瀬でつながり歩いて渡ることも出来る)で大規模な儀式を行う必要があったんです。ここで行われていたのは、その儀式の為の準備の一つだったんですよ」
なるほど。本命の儀式は他にあったのか。だから、ここにほとんど団員が居なかったのか。
30人は居るという情報だったのに、現れたのはヒノモトと四天王のみ。その理由が分かり納得顔の一同。
「ということは、他にも応石が有るのですか?」
新のその問いに、
「はい。他にいくつあるのかは判りませんが、複数の無名石があるのは確かです。それらのほとんどはロンさんが管理していて、他には誰もそれがどこにあるのかさえ知らないんです」
どうやら、ロンとやらが黒幕のようだ。まあ、事の発端はそいつが『魔術』なんて言い出したから。ある意味黒幕なのは当然か。
「ロンってのは、一体何者なんだ?」
うさんくさそうに尋ねる狐斗。
「それが、あまり詳しくは知らないんです。あ、本当です!嘘なんて吐かないです!」
ビクッと怯えた声で、必死に主張する沢田に、誰もまだ何もしてないだろう、と憮然とする狐斗達。まあ、脅したからね。必死にもなるだろう。
「名前や言葉の訛りからすると中国系だと思います。まだ若いのに色んな魔術を使いこなしてて、応石に名前を付ける方法を教えてくれたのも、結界を張ったのも、全部ロンさんがやってくれたんです。そうですね、ロンさんは団員というよりも、コンサルタントみたいなものでしょうか?」
その後もいくつかの狐斗や千尋、新からの問いに答え、話が終わる頃には、沢田はすっかりぐったりしていた。肉体的な疲労も然る物ながら、精神的な疲労も大きいようだった。
やれやれ。一つの企みを潰したと思ったら。ヒノモトには逃げられるし、その上ロンなんて黒幕がはっきりするし、まったく。
狐斗達が、沢田から得た情報を、これからの事を考えていると、遠くの空から響く音がある。
バタバタバタバタ。
それは、ヘリコプターのようだった。
どうやら委員長達のご到着のようだ。

「さて。ようやく風紀委員長達もやって来たようですね。狐斗さん、新さん、彼にはまだまだ訊かなければならない事があります。それに、この先やらなければならない事も出来ましたし、私達も休息をしなければなりません。ここで、終わりではないのですから」
ふふふ。穏やかな笑みを浮かべ、仲間を見る千尋。そして、柔らかい笑みと声で、沢田を振り返り、
「沢田さん?調べ物に、ご協力頂けますわよね?」
その物腰も、声も、柔らかなものだったが、どうやら拒否権は相変わらずないようだ。
それを、痛いほど感じ、沢田は無言で頷いた。
「では皆さん。帰りましょうか」

建物の前には、輸送ヘリが止まっていた。特殊部隊の装備に身を固めた生徒達が、建物を包囲し、手際よく捜索を行っている。
「お迎えありがとうございます。ここは、もうものけのから。最初から、儀式目当てだけの場所だったようですよ。もちろん、その儀式も失敗に終わりましたが」
建物から出てきた人影に、銃口を突きつけ警戒する特殊部隊。しかし、新の言葉に、緊張を解く。
「おや、無事でしたか」
その背後から、変らず制服姿の委員長が現れる。綺麗に分けられた髪は、不思議な事にさほどの乱れはないようだった。
「任務成功何よりです。…月代さんは?」
狐斗達の姿を見て、微笑む委員長だったが、その人数、全員の姿を確認し、その笑みが曇る。
一人足りない。
「委員長、申し訳ありません。私たちがもっと慎重に行動を起こしていれば…」
みおの姿が無い事に気付き、感情の乱れを、ほんの僅かだがその声を乱す委員長に、千尋は深々と頭を下げ、みおが飛ばされた経緯を、その時の様子を伝える。
話を聞き、全く何の役にも立っていない時点での離脱に、頭を抱える委員長。
まったく、このういう時の為の人員だというのに…。それが、敵にまみえる前に、しかも『魔法』による罠で脱落とは。役に立たない。全く役に立っていない。
「まあ…彼女なら大丈夫でしょう。きっとその内帰ってきますよ」
とりあえず、『あちら』と連絡を取らなければ。全く、仕事を増やす事ばかりして。
「彼女は、後できっちり叱っておきます。だからお気になさらず」
そして、一人うな垂れて、ドナドナと歩いてきた男子生徒に目をやる。
「ああ、こいつは沢田っていうらしい。たそペン四天王の一人だそうだ」
狐斗が、骸骨兵なんて呼び出してたぞ、そう告げる。
「ふむ、なるほど。拘束」
頷き、告げる委員長のその言葉に。
がしっ。
特殊部隊員二人が、その両脇をがっちり拘束する。そのままヘリに連行される沢田。
「えっ…はっ…ひぇ?」
情けない声を上げながら、引き摺られ、無情にもヘリに積み込まれた。
「さて。では、私達も行きましょうか。お送りしますよ」
そんな沢田の様子を、なんでもないことのように流して。狐斗達を連れてヘリに乗り込む。
バタバタバタバタ。
エンジンの音が大きくなる。長い一日が、ようやく明けた。


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