【蓬莱学園の密林】最終話へ

「すいません。起きていただけませんか」
肩を優しく揺すられて目が覚める。
さすがに疲労が溜まっていたのだろう。いつの間にか寝ていたようだ。ともすればまた眠りに落ちそうになる意識を、頭を振ってはっきりさせる。
いつの間にかヘリは何処かに着陸したようだ。既にエンジンの音も止まっている。
「お疲れでしょう。休憩室を用意してありますから、そこでお休み下さい」
起こしてくれたのは、どうやら風紀委員のようだ。その腕に腕章が見える。
委員長の姿は、見えない。沢田は、ナオミに連行されて扉の向こうへ消えていくのが見えた。他には数人の生徒がバタバタと忙しそうに走り回っている。
どうやら、ここはどうやら委員会センターの屋上ヘリポートのようだ。

「気遣いありがとうございます。委員長は何処に?さっき向こうへ行ったナオミや沢田は?」
委員に手を引かれて屋上へと降り立ちながら質問する新に、風紀委員が答える。
「ええと、委員長は部隊を連れてすぐヘリで弓美島へ向かいましたよ。なんかものものしい雰囲気だったなあ。ナオミさんは、たそペンのメンバーを補習個室に連れていくって言ってました。後でまたすぐ来るそうです」
「そうですが、迅速な対処ですね。しかし、近代兵器の効かない場所で、一体どうするつもりなのでしょうね。まあ、委員長はともかくとして。私達にはまだ休息が必要なようです。案内お願いします」
「はい。こちらになります」

風紀委員に案内された休憩室、そこは休憩室とは名ばかりの、ホテル並みに設備の整った部屋だった。キッチンやバスルーム、トイレを始め生活に必要な設備は全て整っており、この部屋で暮らす事も十分可能だろう。寝室に至っては複数部屋有るようだ。
「ここならゆっくり休めそうですね。ありがとうございます。ああ、ナオミが来たら起こしてください」
と、その部屋に着くなり、さっさとベッドの上の布団を部屋の出入り口まで運び、そこで布団にくるまって丸くなる。
くぅくぅ。直ぐに寝息が聞こえてくる。どうやら、そのまま寝てしまったようだ。何故ベッドではなく、わざわざそんな所で。
やれやれ、仕方ないな。密林から無事に戻って来られた事に、ホッと安堵のため息をこぼしつつ、床で丸くなって眠る新のくるまっている布団を整えて、頭を枕に乗せてやる狐斗。
さて、寝る前にご飯の準備だけでもしておくか。疲れも取れるよう、精のつく料理が良いかな。そう考えながらキッチンへ向かう途中、気付いた。服も手も、髪も埃と泥にまみれている。考えてみれば丸二日も密林に籠もっていたんだから当然と言えば当然か。
うん、そうだな。こんな状態で料理はするものではないな。まずは…。
「悪いけど、先にシャワー借りるよ」
起きている千尋と真啓、染井へと告げ、バスルームへと足を運ぶ。
しばらくして、閉じられた扉の向こうから心地よさそうなシャワーの音が聞こえてきた。

そんな二人の様子を見ながら、やっと帰ってきたと、蓮水兄妹も安堵のため息を吐く。
「シャワーは狐斗ちゃんが使ってるけど、とりあえずは着替えてきたらどうだ?」
そう言いながら、部屋に有ったパソコンを立ち上げる真啓。
「そうですね。まずは人心地付けましょうか」
シャワーで身を清めなくても、汚れた服を着替えるだけでずいぶん変るだろう。別室に入っていく千尋。それを眺めながら、真啓は自分宛のメールを確認する。
…ダダダダダ。
しばらく待たされた後、大量のメールがメールボックスに溜まっていく。その膨大な量は、とてもじゃないがすぐに全てを確認するのは無理だ。
そう判断した真啓は、取りあえず寝る事にした。とりあえず、色々するのは疲れを取った後だ。幸い休憩室と言いながら、部屋数は十分だ。寝室の一つを借りる事にして、簡単に着替えベッドに横たわると、眠りはすぐに訪れた。
簡単に身を清めた千尋が部屋に戻ると、パソコンが閉じられ、真啓の姿が消えていた。その代わり、別室の僅かに開いた扉から灯りが漏れている。
「兄様?もう、仕方ありませんわね」
部屋を覗くと、真啓がベッドの上で布団も掛けず眠っていた。そんな兄にそっと布団を掛けて、静かに部屋を出る。兄を起こさないようにそっと静かに。
そして、もう一つの寝室に入った千尋は鞄から手入れセットを取り出し、愛刀寒椿の手入れを始めた。
「いくら疲れているとはいえ、手入れを怠っては師匠に頂いた寒椿に申し訳ないですわ」
疲れているとは思えない集中力で、黙々と手入れに励む。そして、手入れの終わった寒椿を光に掲げ、その姿を確認する。問題ない、次も、きっと力になってくれるだろう。傷も汚れもない美しい刃。
頼みますよ。そう心の中で語りかけ、寒椿を鞘に戻した直後。ベッドに横たった体と意識は、深い眠りについた。緊張を解き、疲れを癒やす為に。

狐斗がシャワーから上がると、部屋は静まりかえっていた。どうやらみんな、思い思いの場所で眠りに就いているようだ。
さすがに、移動中寝てたくらいじゃ疲れは取れないよな。狐斗自身も、疲れが重く溜まっている。しかし、眠る前にやる事はやっておかないとな。
そう呟いて、料理の下準備をする為にキッチンへと赴く狐斗。大きな冷蔵庫の中には、様々な、大量の食材が揃っていた。これなら、家庭料理はもちろん、フレンチや中華も、何でも作れそうだ。
間違いなく委員長の仕業だろう。まったく、妙な所で気が利くヤツだ。苦笑しながら、その中から幾つかの食材を見繕い、手早く刻む。
レストランの厨房を思わせる大鍋に、下拵えされた食材がスープと共に入っている。これであらかたの準備は出来た。後は、起きてからでも大丈夫だろう。鍋にタイマーをセットして、キッチンを出る。
部屋に戻った狐斗は、壁に立てかけておいた月詠を手に取り、手入れを始めた。
色々無理させちゃったな。弦も丁寧に張り替えて、骸骨兵相手に、カラス相手に、頑張ってくれた愛弓を愛おしげに一撫でする狐斗の視界が徐々にぼやける。
さすがに…疲れたなぁ…。やっぱ狩りとは違うや。何も考えずゆっくり休みたいけど…あんまり悠長にもしてられない…か…。まだやることは沢山…残ってるし…、今回の件が終わったら終わったでアイツ…の…望月の……こと…も…。
朧気になる意識の中、そう考えながら、狐斗の意識も深い深淵へ、眠りの淵へと沈んでいった。


コンコン。
軽いノックの音と共に扉が開く。
「すまん、入るぞ。委員長がもどっ…!」
返事を待たずに入ってきたナオミは、扉の脇で寝ていた新を発見し、ビクッと身を震わせる。
何でこんな所で。怪訝な顔をしてため息を吐く。
「…。すまないが、みんな起きてくれないか?」
ナオミの言葉に、気怠げながらも体を起こす一同。
「起こして済まないな。委員長が戻って来たんだ。5時から対策会議をやるので、できれば出席してもらえると助かる」
そう告げるナオミの言葉に、壁の時計を見る。
3時23分。
どうやら予想外にぐっすり寝てしまっていたようだ。
「5時前にまた迎えに来る。それまで準備していてくれ」
それだけ告げて、ナオミは静かに、そっと扉を閉めて出て行く。
どうやら気を遣われたらしい。
5時か。まだ少し時間がある。新と千尋、染井は順にシャワーを浴びる事にした。

バスルームへと入る新を見ながら、狐斗は大きく伸びをしてキッチンへと向かう。
うん、寝かけの頭で作ったにしては上出来だ。鍋の具合を確かめ、普段と何の遜色もない、とまではさすがにいかないが、十分に美味しくできているミネストローネを温め直し、トースターにパンを放り込む。
さて、その間に。フライパンを熱し、卵とベーコンを焼く。
三人がシャワーから上がる頃には、テーブルの上には(時間的には朝ではないが)朝食が美味しそうな湯気を立てて並べられていた。
「さぁ、みんな揃ったことだし、委員長のトコへ行く前に腹ごしらえしとかなきゃね。ああ、お代わりは沢山あるから遠慮するなよ」
そう言いながら狐斗が示した先には、ちょっとしたレストランなら賄えそうな大鍋が、暖かな、美味しそうな湯気を立てていた。一体何人前作ったのだろう。それは謎だが、どうやらお代りは必須らしい事は確かだ。もっとも、全員お代りした所で果たして食べきれるだろうか。非常に疑問だった。

「それにしてもすごい量ですね…」
みんなで美味しい食事を取りながらも、食べきれるかなぁという顔で大鍋を振り返る染井。
「あれ?」
その視線の先で、美味しそうな湯気を立てているはずの大鍋は、既に湯気を立てていない。
おかしいなあ。そんなにすぐ冷めるはず無いのに。染井が不思議に思っていると、それまで一言も喋らずにもっきゅもっきゅと食事をしていた新が空になった器を差し出してくる。
「あ、はい。お代わりですね」
染井は疑問が解けないまま、新から器を受け取って、大鍋に向かう。
大鍋に近付くにつれ感じるのはおいしそうな料理の香り…ではなく、なにやら不思議な音。
何の音だろ?何かの鳴き声?でもそんな音が鍋からするはずないし。
その不思議な音に、ますます首を傾げる染井。しばらく眺めていると、その音が時折大きくなる。
間違いない。この鍋の中から、変な音が聞こえる。ナニカが居る。
恐る恐る大鍋を覗きこむと…
そこには湯気を立てるおいしそうな料理…は既に無く。
空っぽになった鍋の中で、
「美味しいにゃー。満足にゃー。お代りにゃー」
と寝言を言いながら、すやすやと満足そうな寝息を鍋に反響させながら丸まって寝ているみおの姿。
「つ、月代先輩!?」
一気に眠気も飛んだような染井の大声が休憩室に響き渡った。

驚きにいっぱいになった染井の顔が、次の瞬間には喜びでくしゃくしゃになる。泣きながらみおを引っ張り出して、ぎゅーっとハグする。
「月代先輩ー!無事で嬉しいです!良かった、もう会えないんじゃないかと思いましたー!」
そのまま有らん限りの力を込めてハグ圧力を高める染井。どうやらこの際、突如鍋に現れた事はどうでもいいらしい。そういうことにしたらしい。
「ぎゅ、ぎゅぎゅぐぅー」
そのハグ圧に、きつく締め上げられ、身悶えしながら目を覚ますみお。
「一体何事だ!?」
突然上がった染井の歓喜の叫びに、何事かと驚きキッチンへと詰め寄る一同。その視線の先に、泣きながら喜びいっぱいにみおをハグする、というより抱き潰そうとしているかのような染井の姿。
「みおさん!無事だったのですね。良かったです」
「みおちゃん!帰って来れたんだね!怪我はないかい?」
「月代、今まで何処にいたのですか?」
みおを囲み、口々に尋ねる声が交差する中、圧迫にぐぬぬと鳴く小動物が、襟を掴まれて持ち上げられる。
抱き締めていたものを取り上げられ驚く染井と、目を覚ましたものの未だに自分の置かれた状況を理解できていない様子のみお、彼女らの視線を受けて、みおを持ち上げた張本人、狐斗が、ニッコリと、不自然なまでにニッコリと、笑う。
「『いただきます』は?」
「にゅ?」
「いただきますと、ごちそうさまは?挨拶もナシにみんなの食事を一人で平らげちゃうなんて。私はそんな、マナーも守れないような躾をした覚えはないんだけどなあ?」
「う?みゅぅぅぅ!」
狐斗の怒りのオーラに当てられ、速射砲のように発せられるマシンガン説教。母親になった新の言葉ではないが、『躾』の前には多少の事なんてどうでも良いらしい。何処かに跳んでいったみおが、鍋から突然現れたことも、同じくどうでも良い事のようだった。

再会の喜びもそこそこに狐斗の説教をたっぷり受けて、へろへろになってキッチンを逃亡するみお。そこへ近付く黒い影。へにゃっと寝転がるみおの後ろにそれは座り込み、
「ご飯」
ぼそりと呟く。
「にゅ?」
振り向いたみおが見たものは、すぐ後ろに座り込み、無表情なままニッコリと笑う新。
「私のご飯がなくなってしまってるんです。困りましたね。私、まだお腹が空いているんですよ。犯人をどうしたら良いと思いますか?」
「うにゃー!」
逃げるみお。追う新。
一難去ってまた一難。
再会を喜ぶ笑い声に包まれて、みおの受難はどうやらまだ続くようだった。