私の母が病気になったのが今から考えれば、60だ。病気になって仕事を続けられなくなった。仕事のせいで病気になった。一日の大半を仕事に費やしていた母にとって、仕事がなくなると、1日の大半を失くしてしまったも同然だった。仕事がなくなれば収入も途絶えた。
母には母の未来予想図があったはずで、おそらくその予想図とはかけはなれた
60代を送っているに違いない。優等生だった母にとっては、今がいちばんわがままに生きているといえる。いちばんわがままにしているとしても、自由かといえば、自由ではない。自由ではないけれども、不幸とはいえない。でも、確かに母の思い描いていた幸せではない。
60代は、老後か?仕事も退職して、子どもも巣立てば、あとは余生なのか?
桐野夏生の「魂萌え」を読んだ。「夫婦2人で建てた家もある。貯金もある。年金ももらえる。贅沢さえしなければ、夫と2人で平穏な老後を送れる・・・・・」果たして、そうだろうか?でも、主人公の敏子はそう思っていたのだ。
”ところが、夫は急死した。その夫には10年来の愛人がいることがわかった。夫の死により精神のバランスをくずしてしまうほど愛している女が夫の世界にいた。セックスもめんどうくさい夫に対して、嫉妬や憤りをかんじて、愛人とやりあう。夫にとって私はなんだったのか?子どもは遺産をわけろという。自分には年金しか生活力がない。子どもは自分の人生を生きるのに精一杯だ。そんな自分に男性が言い寄って来る。一晩を共にする。”
え・・59になっても60になっても、70になっても、性は現役なのか・・と少し驚いた
「彰之が咳いた。その口調に敏子への反発が感じられた。不思議だ、と敏子はおもった。自分が産んで育て愛おしく堪えられない存在だった子どもたちの心がいつしか自分に寄り添わなくなったと感じられて久しい。家事育児に専念してきた自分の時間とは何だったのだろう。良い母親だったはずの自分が、成長した子どもたちに顧みられなくなっていく。夫も、貞淑な妻の自分を裏切っていた。これからは母でもない妻でもない時間を一人でたっぷりと生きていかなくてはならないのだ。」「これから先は喪失との戦いなのだ。友人、知人、体力、知力、金、尊厳。数えだしたらキリがないほど、自分はいろんなものを失うことだろう。老いて得るものがあるとしたら、それは何なのか、知りたいものだ」(本文より)
施設に勤める友達が、あるおじいさんとおばあさんが、ある朝、同じ部屋に寝ていて、施設の中で風紀が乱れて、本当に困ったという話をしていた。70にもなった、じじいとばばあが気持ち悪いんじゃよ!という感じだった。
私の頭の中に描く幸せとはなんなんだろうか・・と、本を読んだあと考え込んでしまった。はたして、自分の幸せというけど、それは自分で選びとることのできるものだろうかと、疑問に思った。お金もなくて、健康もなくて、若さもなくて、地位もなくて・・・だ。
主人公59歳。50代、60代、70代年齢を重ねて、なお、もがきあえぐ。生々しいということは人間らしくておもしろいと思った。