1、「宇宙」はなぜ暗いのか

月面で撮った写真を見ると、空がとても暗いことに気づきます。

月と地球は、太陽からほぼ同じ距離にあるのに、なぜ月だと真昼でも空は暗くて、地球だと真昼は空が明るいのでしょうか。

これは、地球に大気があるからです。

地球の大気が、太陽光を散乱させることで、太陽のない方向も明るくなっています。

大気がほとんどない月や宇宙空間では散乱が起こらないため、太陽の光が直接当たる部分だけが明るく、それ以外の部分は暗くなってしまいます。

 

2、星が「見える」ということ

夜と昼の明るさについて述べる前に、人の目が光を見ることについて簡単に触れます。

人は、網膜にある化学物質が光の粒子を受けて化学反応を起こすことで光を感じます。

人が光を感じるためには、網膜にぶつかる光が「化学反応を起こすための一定の範囲のエネルギーを持っていること」と「ある程度の量を持っていること」が必要です。

(1)光が持つエネルギーは、光の波長と反比例するので、人の目に見える光の波長は一定の範囲になります。これが可視光線の波長です。

可視光線の波長は、おおよそ380nmから750nmで、太陽光の多くを占める波長域がこの領域です。

(2)ある程度の量を持っていると星が見えることは、望遠鏡を使うと良くわかります。

瞳の直径は約5mmですが、望遠鏡で多くの光のつぶ?を集めると、暗い星が見えるようになります。

 

3、明るさの尺度「表面輝度」

宇宙の星や星雲は、その光の総量によって「等級」という尺度を使うことが多くありますが、同じ等級の恒星と銀河を比べると、銀河のほうがなんとなく薄暗くて見つけにくいものになります。

これは、地球からみた恒星がほぼ点なのに対して、同じ光の総量を発する銀河が少し広がりを持っているからです。

そこで、天文学では等級のほかに、みかけの面積(1平方秒角)あたりの明るさを表す「表面輝度(または面輝度)」という尺度を用いることがあります。

この表面輝度は、みかけの面積あたりの明るさを示しているので「同じ恒星であれば、どの距離にあっても同じ数値で表せる」というメリットがあります。

 

 [解説]

 オルバースのパラドックスに興味がある方ならご理解いただけると思いますが、距離が2倍になると明るさが4分の1になる反面、その星のみかけの面積も4分の1になります。

そうすると、みかけの面積で明るさを割った数値はいつも同じものになります。

たとえば、太陽の明るさをみかけの面積で割った数値はどれほど遠くに太陽を置いても同じです。

オルバースのパラドックスを説明するとき、明るさを表現するために「太陽の面輝度」ということがあります。

 

4、もともとの「オルバースのパラドックス」

(エドワード・ハリソン著『夜空はなぜ暗い?』から)

私が前提を変えて論じてみたいと思ったのは、このパラドックスを提唱したシェゾー(1718-1751)やオルバース(1758-1840)の頃は「光がエネルギーの一形態であると思われていなかった」という記述を読んだからでした。

この本のなかで、オルバースは1823年に次のような記述を残したと書かれています。

「もし、無限の宇宙全体に本当に太陽のような天体がいくつも存在し、それらが互いに同じくらいの距離を隔てているか、あるいは、天の川のような集団をいくつも形成しているとしたら、それらの数は無数であるから、天球全体は太陽面と同じくらいに明るく輝くだろう。というのも、我々が想像できるすべての視線は、恒星のどれかに必然的に到達するはずであり、したがって、太陽光と同じ星の光が、天球面のすべての点から我々に届くはずだからである。」

この本ではまた、それに先立つ1744年、シェゾーは天球が星々に覆われると、太陽の9万倍の明るさになることを発見したと書かれています。

この頃の人々は、世界が光に満ち溢れることは、とても危険だという認識がなかったのでしょうね。

私は暑いのが苦手(寒いのも苦手)なので、ふつうに温かい地球をモデルにしたいと思いました。

 

5、背景限界距離・・・・オルバースのパラドックスをひもとくためのカギ

【この部分は津村先生の著書を私の言葉で抜き書きします】

夜空を見上げたとき、平均してどれくらいの距離の星を見ていることになるか、この距離のことを背景限界距離といいます。

この背景限界距離は、1÷(星の断面積×数密度)によって求められます。

太陽の大きさの星をモデルに、ヒッパルコス衛星で測定された星の密度(太陽系から10光年の距離にある恒星は12個)で背景限界距離を計算すると、背景限界距離は約10の16乗光年(1京光年)というとても大きな数字になります。

すなわち計算上は、太陽のような星が、太陽系の周りと同程度の密度で無限の宇宙に一様に分布しているとすると、夜空を見上げたときに目に入る星までの平均的な距離は1京光年ということです。

私たちの太陽系は銀河系の中にありますが、もっと恒星の密度が低い宇宙空間を考慮すると、背景限界距離は約10の23乗光年(1000垓光年)にもなるそうです。

 

6、天球の表面輝度

【この部分は津村先生の資料を、かなり省いた感じで私の言葉で書きます】

オルバースが例を挙げたように「天球がすべて、太陽と同じような星で埋め尽くされたとき」その空の明るさはどうなるでしょうか。

ここでは、光の回析(物の後ろに隠れた星からの光が回り込んで見えるようになること)は考えないことにします。

(1)もっとも単純な考え方(津村先生の説ではなく、私の単純な考え方です)

後ろの星からの光はさえぎられるとしたら、天球がすべて太陽と同じような星で埋め尽くされたときの明るさ(表面輝度)は、どこを見ても様々な距離に太陽がいることになるのだから、太陽の表面輝度と同じになるはず。

(2)もっと科学的な考え方(こちらが津村先生に教えていただいた導入式です)

[ちょっと計算が高度になるので、内容を簡略化します]

地球から見て星が重なっているところがあると、その部分は手前の星の明るさだけが地球にとっての明るさになります。

その明るさの総和が天球全体の明るさになるのですが、これは次のような考え方で計算できます。

  ア)ある距離において星が後ろの光を遮る確率は、星の個数密度×星の断面積 で計算できます

    (星は立体なので、「その面における星の個数」の割合を星の個数密度で考えます)

  イ)天球の明るさは、地球からの距離ごとに見える「そら」の明るさの総和ですが、星が後ろの光を遮る割合が影響するので

   その距離にある星の明るさ×星の数×「手前の星で遮られなかった面積」を積み上げる必要があります。

    手前の星でどんどん遮られていくので、奥の天球ほど指数関数的に小さくなっていきます。

    背景限界距離まで見通すと、それ以上先は見通せなくなるので、総和を計算すると、天球の表面輝度は太陽の表面輝度と同じ数値になります。

 

7、夜空が昼の明るさになる条件

注)この部分は私の勝手な想定です。

夜空が昼と同じ明るさじゃないのはなぜ?という私の疑問は、次のように言い換えられます。

「大気があって、宇宙の光が散乱するなら、天球をすべて星が満たさなくても夜空は昼と同じ明るさになるはずなのに、それがないのはなぜか?」

この疑問は、オルバースのパラドックスと異なるものです。

夜中に昼が生まれないのはなぜか、という意味で「ヒルバースのパラドックス」と命名させてください。

 

ヒルバースのパラドックスで大切なのは、太陽の面輝度と同じような星々が、天の半球のどの程度を埋めれば昼の明るさになるか、を考えることです。私は次のように考えました。

(1)太陽のような「極端に近い恒星」がない夜の半球において、一面に均質な青空の明るさが得られること

青空の明るさは8000cd/m^2で、太陽の明るさ(太陽の面輝度1.865×10^9cd/m^2)は青空の250,000倍明るいことになります。

私の考える夜空の半球では、直視すると失明するような極端に近い星を持たない、散乱で天球全体が均質に明るいことを考えます。

(2)この明るさを得られる星々は、太陽をモデルにすること

夜空なので、近くに太陽はいません。地球の反対にいるかもしれませんが、こちらには「遠くに太陽のような恒星がいる」ことを考えます。

太陽は半径70万km、恒星の寿命(いちおう光っている時間とします)は100億年とします。

 

さて、このような条件で昼の明るさを持つ「夜空」を作るためには、天の半球のどれくらいの割合が星々に覆われている必要があるでしょうか。

天の半球をすべて太陽と同じ恒星が覆った場合、天球の面輝度は6で書いた通り、太陽の面輝度と同じになります。

私がほしいのは、その25万分の1の明るさ(面輝度)の青空なので、天の半球の25万分の1が星々に覆われればよいことになります。

 

私の「ヒルバースのパラドックス」では『夜空の25万分の1が太陽と同じような星々で覆われれば、その星々が遠くにあっても均質な「昼のように明るい夜空」になるのに、なぜそうならないか?』という設問を解く形で計算をしたいと思います。

 

 

その3に続きます