父は2024年4月10日に永眠しました。
ブログ公開はゆっくりですが、ブログ記事はなるべくリアルタイムで綴ってきました。
父の頑張りや思い出の記録とともに、
その時の素直な想いをここに書く事で自分の中の気持ちや考えをまとめ、心を落ち着けていました。
父が居なくなって少しの間は、書く気が起きずにいました。少し間が空いて気持ちも落ち着いたので、振り返っていきます。
このブログ記事は5月4日に書いています。
2023年5月15日に
食道胃接合部癌のステージ3と診断された
父(当時66歳)の闘病の様子を
娘目線で綴っていきます。
私の弟たち
弟(長男)→実家暮らし。標準治療反対派で、父の治療には一切関わらないと宣言。
弟(次男)→県外住み。父の選んだ治療に賛成というスタンス。
弟(末っ子)→県内住み。三男。歳の離れた弟。とても頼りになる。父の通院の付き添いなど全て請け負ってくれている。
火葬場で待つ間、手持ち無沙汰でした。
田舎ゆえ、周りには何もなく、なんなら電波もなく(ドコモは使えたけど、ソフトバンク回線の私は余裕で圏外でした)、
寒いので暖房つけて座っていると、
あちこちからカメムシが現れました
部屋が暖かくなったからか、あちこちから出てきて元気いっぱい動き回るんですよ。
臭いだけで害がないので気にしてなかったのに、「カメムシは人刺すよ」と末っ子が教えてくれたので、ビビり散らして過ごすことになりました。田舎、怖い
父の骨が炉から出てきました。
顎とか歯もしっかりそれとわかる状態で残ってました。
それをみんなでえっさほっさと収骨しました。
沢山入れて、壺の中で棒で骨を砕いて隙間を作ってはまだまだ入れて…。
もっとしんみりやるんだと思ったけど、そうでもなかったです。
骨壷は私が抱えて車内に乗り込み、お礼して火葬場を後にしました。
せっかく遠方から駆けつけて下さった次男家族に「うちで夕食を食べてって下さい」って事で、
家に帰る前にスーパーで夕食を買ってから帰宅。
17時半頃かな。
やっと、お家に帰ってきました。
車を降りたら家までゆっくり歩きました。
お庭、久々に見えたかな?
「ただいまー、ただいまー!」
と家に入ると、
「何回言うんよ」
と末っ子に笑われましたが、
「私とお父さんの2人分じゃん」
と返したら、
「あぁ!」
と納得してもらえました。
お父さん、これからしばらくは、お家でゆっくり過ごしてね。長男が山奥の実家にも1度くらい連れ帰ってくれる事を期待したいところ。
家に着いてからは、
次男家族の帰りの時間まで、
「スーパーの寿司にしては美味しい」と、父のお墨付きのお寿司と、次男お手製かえしのお蕎麦を頂きました
とても和やかな時間を過ごせたと思います。
次男はこの日1日着ていた父のジャンパーを持って帰る事にしました。着る予定はないけど、父の思い出の品だから、と。
私も、父のフリースをそのまま持って帰ることにしました。部屋着にちょうど良いので父がこの数ヶ月間ずっと着ていたように、私も寒い時期に沢山着ようと思います。
そして、次男と次男家族が帰って行った後、
私は長男と母の元へ行き、私は母宅に泊まらせてもらい、翌日12日に我が家に帰りました。