父は2024年4月10日に永眠しました。
ブログ公開はゆっくりですが、ブログ記事はなるべくリアルタイムで綴ってきました。
父の頑張りや思い出の記録とともに、
その時の素直な想いをここに書く事で自分の中の気持ちや考えをまとめ、心を落ち着けていました。
父が居なくなって少しの間は、書く気が起きずにいました。少し間が空いて気持ちも落ち着いたので、振り返っていきます。
このブログ記事は4月25日に書いています。
2023年5月15日に
食道胃接合部癌のステージ3と診断された
父(当時66歳)の闘病の様子を
娘目線で綴っていきます。
私の弟たち
弟(長男)→実家暮らし。標準治療反対派で、父の治療には一切関わらないと宣言。
弟(次男)→県外住み。父の選んだ治療に賛成というスタンス。
弟(末っ子)→県内住み。三男。歳の離れた弟。とても頼りになる。父の通院の付き添いなど全て請け負ってくれている。
長男、末っ子とともに父の顔や手足を温かいタオルで拭かせてもらいました。
その後は別室で40分ほど待機。
(主に私が)泣きながら、他愛ない話をしていました。
末っ子が、私と長男不在のタイミングで、父の呼吸が不規則になった時が
「俺の人生で一番心拍数が上がったと思う!マジで自分の心音うるさくてヤバかった!
2人に連絡しなきゃとかナースコールしなきゃとか思ったけどパニックでどっちも出来んかったもん。オトン生きてるうちに戻って来てくれてよかった。」
と言ってました。
本当にねまさか、急にそんなふうになると思わなくて。間に合ったから良かったけど、一人にしてごめん
呼ばれて部屋に戻ると、頑張って口呼吸していたから口が開いたままだった父の口元はほぼ閉じられていて、お着替えも済ませてもらって綺麗に身支度が整えられていました。

お着替えについては、入院時に着てきた服か、病院の浴衣の2択でした。
どちらにしましょうか?と聞かれ、
「自分の服が着たいだろうから」と3人の意見が合いました。
が‼️なぜかトップスが見当たらなくて
「多分、入院したらすぐ着替えるってわかってたから、上着の下は下着だったんじゃない?」
と末っ子。
父なら普通にありえる・・・。
もう入院時は痛みもあったし、しんどくてたまらなかったはず。
一人での着替えもままならないくらいだったようだし。ちょっとでも、手間を省くためにアウターの下はトップスなしで来た可能性大だわ。
流石に上半身下着のみってわけにはいかないので、服は諦めて浴衣を着せてもらいました。
浴衣という選択肢があって本当に良かったです。
身支度が済んだ父は、白地に紺の井桁絣柄のシンプルな浴衣に着替えさせてもらっていました。