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48時間の間に

義両親を亡くしました。

(義母1/31朝、義父2/1夜)

 

2/4納棺→2/12葬儀を終え、2/15に葬儀代金を払い、その翌日から、2人がお世話になった関係各所にご挨拶回りに行きました。

 

町内会に訃報も出しました。

 

葬儀は家族葬だったので、弔問客はありませんでしたが、義母はPTAの会長をしたこともある地元ではちょっと有名人ではあるので、ひっそりいなくなるより、皆様にちゃんとご挨拶したいと思っていました。

 

認知症を患って、いろいろご近所さんにも迷惑を掛けましたから。

 

これからは、「お線香あげさせてください」のお声がかかるようになると思います。

 

ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)

 

義両親宅にはたくさんの思い出の品と写真を飾り、義母が認知症で施設に入る時と同じような雰囲気に家を戻し、納骨まで帰りたかった家でゆっくりしてほしい。そして、懐かしい方々が訪問してくれて思い出話に花が咲いたら、こんな嬉しいことはありません。

 

亡くなった人は、お線香の香りで食事をすると言われています。

 

今、義両親の祭壇には大好物の食べ物がいっぱい並べてあります。

 

固くて食べられなかったものも今では香りをかぎながら食べていることでしょう。

 

で、今日の弔問客は私の実家からでした。

 

実母と妹と弟が、1時間半電車に揺られて来てくれるはずでした。

 

しかしながら、天候が悪く、80歳になる母が体調を崩してしまったので、妹と弟だけでの弔問になりました。

 

2人は義両親とあまり接点はありません。

 

でも、ちゃんと母の代理を務めてくれました。

 

私はほぼ1人で義両親の介護をしてきたので、ものすごくつらかったです。苦しかったです。

 

そんな時、実家に電話を掛けたり、妹とメールして励ましてもらったり、心強い味方でした。

 

義両親が相次いで亡くなった時もホントは実家の家族に一緒にいてほしかった。支えてほしかった。

 

けど、義兄が「家族葬で」と言ったので、実家の母は遠慮しました(実際は、義姉のお父様は来てましたけどね)。

 

「納骨までにはお線香あげに行くよ!」と言ってくれたので、主人と相談して、お食事会を考えていました。

 

離れて暮らしている長男も駆けつけてくれるとなったので、私は嬉しかったのですが、母の具合が悪くなったと聞き、心配しています。

 

義両親を送った今、これから実母への親孝行をしたいと考えています。そんな時にもし、母に何かあったらと思うと不安で不安で胸がはりさけそうです。

 

妹と弟には最大限のおもてなしをして、夜には母に電話をしたら、元気な声が聴けて嬉しくなりました。

 

 

今日は雪も降りそうな寒い1日だったし、これから春に向けて、また「お線香をあげにいくよ」と言ってもらえるよう、私もがんばろうと思いました。

 

体調がすぐれない母が遺骨のある場所にくることも気になっていました。

 

たぶん、義両親が「今日はお母さんに来ちゃいけませんって言ってくれたんだろうな」と良いように解釈しています。

 

連れていかれたら困りますからね。

 

そんなことを考えていたら、私が初めて義両親と会った時のことを思い出しました。

 

結納のために実家から両親と車で来た時のことも。

 

お義父さんが「どうもー」っていつも玄関で迎えてくださるのです。その時の声のトーンといい、亡き実父がお酒(一升瓶)を持って訪問してくれる時のこと、ついこの間のように思いますが、もう20年以上も前のことになるのだなと思うと、なんか涙が出てしまいました。

 

亡き実父にお願いしました。

「お義父さんとお義母さんにそちらの世界のこと教えてあげてね」と。

 

 

 

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