”【介護】突然その日がやってきた 2・・・(義両親を見送る)” | つれづれなるままに… ~第12章~

つれづれなるままに… ~第12章~

『日々の生活の中で感じたこと』を、ゆったりまったりと書き綴っていきたいと思います。2023.12.1

今日も
私のブログを見にきてくださり、
ありがとうございます。
 
昨日、義母が
特別養護老人ホームで
永眠いたしました。
 

 
今日は、
その時の様子を書きたいと思います。
 
私の1月31日の朝は、なんか貧血気味で、ていうか最近夜中3時と明け方5時になぜか目覚めて。
 
眠る時間は、寝れる時に寝ようと夕食済ませたら、さっさと歯を磨いて横になるという健康的な生活に。
 
だけど、昨日は朝起きれなくて、うだうだしてたら携帯がなりました。
 
8時頃だったかなあ。
 
「息していません」「これから先生を呼びます」
「何時ごろ来れそうですか?」
 
朝の巡回時に息をしていない義母がいたそうです。
 
「1人で逝かせてしまったか」
 
まだパジャマだったので、タクシー乗っても9時近くなるかなあ。
 
頭の中がぐちゃぐちゃになりました。
 
主人と義兄に連絡取りようにも着替えながらスマホの操作できませんから。
 
職場にも連絡せねばならない。
 
で、施設の方から「葬儀屋さんに連絡してください」と言われ、「え?今ですか?」と思わず言ってしまったのだけど、家を出る前に葬儀屋さんを手配できました。
 
「10時に施設にお迎えお願いします」
 
義母は、自分たちの葬儀のことを互助会に頼んでいました。だから、以前から言われていた葬儀屋さんに慌てず電話ができました。
 
私が施設に着くと、義母はきれいに身支度を整えてもらっていました。
 
義母は昨日渡しておいた思い出の品の指輪をつけていました。
「私がついているから安全運転で来てください」と義兄と主人にLINEしました。
 
10時より少し前に葬儀屋さんが到着し、施設を後にする時、施設の職員の方々が並んで一礼してくださいました。
 
死亡診断書をいただいて、施設を後にしました。
 
見送りの職員さんの数を見て、「義母はたくさんの方に愛されていたんだなあ」と思いました。
 
たった2か月の特養での生活だったけど、いろんなことを学ばせてもらいました。
 
この施設が最終地点でいずれは義父もお世話になると思っていたのですが、叶いませんでした。
 
そして、義父がいる病院の前を通り、葬祭場の霊安室に安置されました。
 
主人は間に合わなくて、葬儀の打ち合わせが始まった時に到着。
 
互助会の積み立てしてあったけど、このお金で葬儀をおこなうのではなく、あくまでも割引金額であることを知ったのは後のことでした、
 
こうして、葬儀の日程が決まりました。
 
しかしながら、その直後、義兄の携帯がなり「義父、危篤!」 病院から呼び出しでした。
 
いったん家に戻って、義父の元を訪れました。
 
医師の説明では「今日か明日」。
 
下顎呼吸と無呼吸を繰り返していました。
 
呼び掛けには呼吸で答えてくれているように見えたので、ちょっとホッとした自分がいたのを覚えています。
 
苦しそうな呼吸でしたが、医師は「本人は苦しくないと思います」と言っていました。
 
今朝亡くなった義母が、呼んでいるのかもしれません。
 
「早く楽にしてあげたい」「義母の所に連れて帰りたい」と思いました。

 

 

 

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