昨日の朝は、
何だか気分がすぐれませんでした。
ここ数日身体が冴えなくて重たくて、眠気が襲い、
「なんだろう」と思っていました。
行くべき場所に行きたくない。
なんか変な胸さわぎがして。
その理由がわかりました。
昨日、実父が息を引き取りました。
父親らしいおだやかな最期でした。
がんでした。
半年前、黄疸から病院に入り、
あれよあれよと人間ではなくなってしまいました。
認知症も患っていたので、
いつか私たちのこともわからなくなるのではないかと
怖かったのですが、最期まで家族のことは忘れずに
いれたように思います。
ボケた感じもしていましたが、
年相応の記憶力で人生を全うしました。
病気になって
「後悔のない介護をしよう」「送り出す」と決めて、
毎日を過ごしてきました。
お父さんがお父さんらしく、
苦しまず、逝ってくれました。
ホント眠るように。
ただ、残念だったのは、
病院というものは、さびしいもんで、
介護の人手が足りないのはわかりますが、
父はオムツを嫌がりました。
それは、最期まで
「出ちゃうよ」「トイレ行きたいよ」と自立した排泄感覚を
認識してた?こと。
認識できてるということは、
最期まで自立歩行でがんばらせたかった。
http://ameblo.jp/luna19950423/entry-12157285327.html
入院するまで、脚力はあり、よく散歩してる父でした。
入院で自由がきかなくなり、歩けなくなりました。
病院では認知症状から夜の徘徊がお盛んでした。
「人に迷惑をかけたくない」父でしたから、
トイレは自分で行きたい。
看護師さんに負担かけたくない。
だけど、
それがかえって抑制になりました。
車イスにはがいじめ、ベッドにはがいじめ。
やがて自由がなくなり、ストレスになったことで、
廃人になったように思います。
http://ameblo.jp/luna19950423/entry-12165423947.html
声が出なくなりました。
腹水がたまって、肺を圧迫しました。
呼吸ができなくなりました。
酸素吸入を始めて、2週間。
食べられなくなり、飲み込めなくなり、
栄養点滴は2ヶ月くらい続けたでしょうか。
やがて、点滴も身体を受け付けなくなり、
むくみ、汗のようにリンパ液が身体から出始めました。
でも、亡くなる前の日は
初孫である私の長男の見舞いに受け答えできてたようです。
酸素吸入を始めた頃、
我が家の子どもたちを初めて病院に連れて行きました。
http://ameblo.jp/luna19950423/entry-12181295222.html
おじいちゃんのがんばってる姿を見せたかった。
結局、それっきりになってしまいましたけど。
このタイミングでよかったと思います。
これ以上、看ていられなかった。
本人もつらかったでしょう。
背中からリンパ液が出たら、
パジャマは、身体の上にかぶせるだけ?
裸同然じゃないですか。
恥ずかしくなったのかもしれません。
それから初孫(長男)が見舞ってくれて、
立派になった姿に安心してくれたのか、
翌日 人生の幕をおろしました。
死に目には、母しか立ち会えませんでした。
「病院から呼び出しがきた」と母から連絡をもらい、
その日は私は仕事が休みだったので、
すぐ行くことができましたが、間に合いませんでした。
ずっと介護してくれていた妹も弟でさえも、
この時ばかりは、仕事ですぐには来れませんでした。
これも父のイメージしていた臨終の時だったのかな。
大好きな母(妻)だけと二人っきりの時間を過ごし、
旅立っていきました。
「もう!勝手に逝っちゃうんだからあ~」
闘病生活の様子は何度かブログにあげてきましたが、
ホント見事な筋書きだったように思います。
真面目と言うか、誠実というか、おちゃめというか。
父に対して恥ずかしくない生き方を
これからはしようと思いました。
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