旅立ち | つれづれなるままに… ~第12章~

つれづれなるままに… ~第12章~

『日々の生活の中で感じたこと』を、ゆったりまったりと書き綴っていきたいと思います。2023.12.1

昨日の朝は、
何だか気分がすぐれませんでした。

ここ数日身体が冴えなくて重たくて、眠気が襲い、
「なんだろう」と思っていました。

行くべき場所に行きたくない。

なんか変な胸さわぎがして。

その理由がわかりました。

昨日、実父が息を引き取りました。

父親らしいおだやかな最期でした。

がんでした。

半年前、黄疸から病院に入り、
あれよあれよと人間ではなくなってしまいました。

認知症も患っていたので、
いつか私たちのこともわからなくなるのではないかと
怖かったのですが、最期まで家族のことは忘れずに
いれたように思います。

ボケた感じもしていましたが、
年相応の記憶力で人生を全うしました。

病気になって
「後悔のない介護をしよう」「送り出す」と決めて、
毎日を過ごしてきました。

お父さんがお父さんらしく、
苦しまず、逝ってくれました。

ホント眠るように。

ただ、残念だったのは、
病院というものは、さびしいもんで、
介護の人手が足りないのはわかりますが、
父はオムツを嫌がりました。

それは、最期まで
「出ちゃうよ」「トイレ行きたいよ」と自立した排泄感覚を
認識してた?こと。

認識できてるということは、
最期まで自立歩行でがんばらせたかった。
http://ameblo.jp/luna19950423/entry-12157285327.html

入院するまで、脚力はあり、よく散歩してる父でした。

入院で自由がきかなくなり、歩けなくなりました。

病院では認知症状から夜の徘徊がお盛んでした。

「人に迷惑をかけたくない」父でしたから、
トイレは自分で行きたい。
看護師さんに負担かけたくない。

だけど、
それがかえって抑制になりました。

車イスにはがいじめ、ベッドにはがいじめ。

やがて自由がなくなり、ストレスになったことで、
廃人になったように思います。
http://ameblo.jp/luna19950423/entry-12165423947.html

声が出なくなりました。

腹水がたまって、肺を圧迫しました。

呼吸ができなくなりました。

酸素吸入を始めて、2週間。

食べられなくなり、飲み込めなくなり、
栄養点滴は2ヶ月くらい続けたでしょうか。

やがて、点滴も身体を受け付けなくなり、
むくみ、汗のようにリンパ液が身体から出始めました。

でも、亡くなる前の日は
初孫である私の長男の見舞いに受け答えできてたようです。

酸素吸入を始めた頃、
我が家の子どもたちを初めて病院に連れて行きました。
http://ameblo.jp/luna19950423/entry-12181295222.html

おじいちゃんのがんばってる姿を見せたかった。

結局、それっきりになってしまいましたけど。

このタイミングでよかったと思います。

これ以上、看ていられなかった。

本人もつらかったでしょう。

背中からリンパ液が出たら、
パジャマは、身体の上にかぶせるだけ?

裸同然じゃないですか。

恥ずかしくなったのかもしれません。

それから初孫(長男)が見舞ってくれて、
立派になった姿に安心してくれたのか、
翌日 人生の幕をおろしました。

死に目には、母しか立ち会えませんでした。

「病院から呼び出しがきた」と母から連絡をもらい、
その日は私は仕事が休みだったので、
すぐ行くことができましたが、間に合いませんでした。

ずっと介護してくれていた妹も弟でさえも、
この時ばかりは、仕事ですぐには来れませんでした。

これも父のイメージしていた臨終の時だったのかな。

大好きな母(妻)だけと二人っきりの時間を過ごし、
旅立っていきました。

「もう!勝手に逝っちゃうんだからあ~」

闘病生活の様子は何度かブログにあげてきましたが、
ホント見事な筋書きだったように思います。

真面目と言うか、誠実というか、おちゃめというか。

父に対して恥ずかしくない生き方を
これからはしようと思いました。



▼本日限定!ブログスタンプ

あなたもスタンプをGETしよう

あなたもスタンプをGETしよう

今、あなたは幸せだと思う?

はい!

私は、↑ この父の娘でよかったです。