今の私に至るまで~入院編~のつづき
現在の私の気持ちをピンク文字で書いています
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検査入院中には地元病院で行った検査に加えて
沢山の検査をしました
1番キツかったのは造影剤カテーテル検査
脳腫瘍は脳内の血管から栄養をもらい
成長していたので、どの血管と繋がっているのか、腫瘍の大きさ?とかも詳しく調べる為の検査入院だったんだと思います
栄養もらうって腫瘍スゲーな笑
鼠径部からカテーテルを挿入するんですが
完全に麻酔ではなくウツロウツロくらい
造影剤が入れられた時は腫瘍部分が
チカーって熱く痛かったです
それより痛かったのがカテーテル挿入
担当の先生が下手すぎた
先生ごめん笑
でも地元病院の時は全く痛くなかったんだよ、、、
ウツロウツロなのに激痛すぎて泣きまくり
鼠径部に”しこり”ができて
数ヶ月治らなかったよ笑笑
身体に害があるわけじゃないんだけどね^^;
私はいつも部屋では食事はせずに
病棟フロアにある休憩室ラウンジに移動して食事をしていました
ベッドの上で1人で食べると美味しくないし
何より人と話したくて
会う人会う人に声を掛けていきました
いつものようにラウンジで数名での夕食時
術着の河野先生が来られました
「いつも部屋に居ないね~
先輩に色々聞いてるの?^^
○月○日に手術しようか」
その日から1ヶ月後に手術が決まりました
退院し奈良に帰宅
まだまだ心配する親や友人
当たり前やん笑
今のマインドならめっちゃ納得なんですが
当時の私がなぜこんな事を言ったのかはホンマに謎なんやけど
心配する周りの人に私が言った言葉
大丈夫、私は手術の日まで自分の生命力全部で絶対乗り切って手術絶対に受けるから
この言葉だけはなんでか心にずっと残ってる
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もちろん無事に手術の為に数日前から入院
長女の誕生日の翌日朝から東京へ行ったなぁ。。。
前夜の手術説明
別居中の旦那登場
あなた嫁が大変な時に何してるんだYO笑
離婚していないし手術同意書には旦那のサインが必要ー
私はもう腹も括ったし後は先生にお任せするのみ
最後に河野先生が
「よく無事に何事もなく手術迎えれたね良かった」
はい、何事があるかもしれない可能性が大すぎた重症患者だったんですな笑
部屋に戻り1人で今までの事が頭をグルグル
例の恩師、親友、友人にメッセージを書いて送りました
内容は全く覚えてないんやけど、
万が一私に何かあるかもしれないから
万が一が無くても、もしかしたら
もう誰とも会話したりメッセージ送ったり
出来ないかもしれないとか
明日手術が終わった後の自分の姿が全く想像出来なくて。。。
遺書じゃないけど皆に何か伝えたかったんかな
~手術の朝~
緊張でトイレ何回も
母親と義理父が来てくれて
義理父は仕事で関東に居たので
母親は前日から泊まりで
2人に見送られて
手術室へ向かうエレベーターに乗り
手術室に入り手術台に寝転んだ瞬間
手術ベッドがめっちゃ温かくて
ウォーターベッドみたいにふわふわで
パチパチパチって何人もの人が手馴れた様子で私の身体に器具を付け出したんです
当たり前やん笑慣れてなかったらアカンやん^^;
私、大号泣
あかん、、、書きながら思い出して泣きそー
スタバやから隣の席の人に不審がられるやん!
メンヘラ中年女性確定なるやーん!
病気を告げられた日から不安で不安で怖くて頼りたい旦那は居なく親にも素直に弱音を出せず
大丈夫、私は大丈夫っていたけどずっと心細かったんやね、、、、
今の私なら無理〜笑
もうどんな人かは忘れたけど、男性の看護師?検査技師?さんが私の涙をティッシュで何度も何度も吹いてくれて、大丈夫って言ってくれていて
そしたらマスクを付けられて・・・
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12時間後
人生初のICU
意識朦朧
身体は管だらけで足にはマッサージャー
エコノミー症候群を防ぐためかな
少しづつ意識は鮮明になるけど頭が痛いし
そりゃぁなぁ~開頭してるからなぁ^^;
1番キツかったのはNO水分
何も飲めない、管あるし
看護師さんが濡れた脱脂綿で口を湿らせてくれるのみ
水分の有難みを経験
私は生きていました
生きているからこそ向き合うことが
新たに出てきたんです、、、
後遺症です
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長文を読んでいただきありがとうございます
プロフィールブログを書く中で、”病気経験”は
私の人生でかなり大きなターニングポイントでした。
その経験が今の私に成長させてくれました
また、同じ聴神経腫瘍の病気の方にも
”何か”の気づきのきっかけになって頂けたらと
経験者として微力ながら書かせていただきました
病気経験は次の~経過編~で最後になります