昨日
可能なら妻と小石川植物園を散策し、上野へ行って焼肉ライクのスプリングラムを堪能してくる予定
と書いた。
それを実践するため出かける準備をしつつ、どんなルートで回るかを考えた。
上野で食事、茗荷谷での買い物、小石川植物園散策をどの順番にするかによって乗るべきバスなども変わってくるし、上野での食事を何時に設定するかも重要になる。
先に食事をするtするt
調べたら小石川植物園は「月曜休館」だった。
出かける前で良かったよ。
この計画は来週へ先送りすることにした。
では、今日は何をする?
2人で一生懸命考えたけれど代替案は出ず。
唯一で最良の計画は「2人で根っこを生やしてぐだぐだする」だった。
老人らしかろう。
もし可能なら「縁側で日向ぼっこ」とか「近所の老人と井戸端会議」…いやいや老人らしさを出すなら井戸端会議会場は「病院の待合室」だろうか…などにすればより臨場感のある老人の出来上がり←そうはなりたくないと今は感じてる辺り、まだ純粋培養老人にはなっていないと思いたい。
誕プレ考(XM4ケースカバー後記)
先日最終回を迎えた「美人なお友達へのプレゼントSONY WF-1000XM4ケースカバー」シリーズは、最終回で「充電LEDが外から見える様スリットを開けるかも」と含みを残したが、その加工をすることなく昨日美人なお友達の元へ発送された。
美人なお友達との付き合いは長い。
良いこともあれば悪いこともある。
お互い誕生日やクリスマスのプレゼントを送り合っている。
向こうさんはどう思っているかは知らんけれど、じじい的にほんの少し困ったと言うか「風情無くなっちゃったな」と思うことがあるんだ。
プレゼントを送り合う習慣は良い。
お互い節度を持った金額でやり合っているからな。
これが「じゃーん。この家1軒プレゼント」とか「欲しがっていた車を車庫に入れておいたよ」とかそんな壮大なスケールのアメリカンジョークの様なプレゼント交換になったら貧乏なじじいはついていけない。
暗黙の了解で手頃な金額での上限がある、節度ある中でのプレゼント選びだからこそ選ぶ楽しみもあるし、気軽に送ることができている。
ルールは大切だよな。
では何に困って「風情がない」と嘆くのか。
それはプレゼントの受付期間が「誕生日の前後半年」と言うこと。
つまり1年中いつでも受付可。
気になるものがあった時、例えばじじいは6月生まれだが、12月に面白そうなものを見つけたら「来年の誕生日プレゼントな」と提案されたりする訳だ。
1年中気にしていてくれると思えば嬉しいことこの上ない。けれど、全然違う時期に「誕プレ」と送られても「お、おぅ」だし、一時期「これは来年の誕生日プレゼントな。え?それはもう送った?じゃあ来年のクリスマスプレゼント…え、それも済み?じゃあ…」とか何年か先のプレゼントまで済みとなってしまって「今年分はもう送ったよね?」とか確認し合う…風情ないだろ。決して嫌じゃないけどね。
何年も先の分まで相手に送りたいと思うものが見つかるなんて幸せだって十分わかった上での贅沢な悩みとして「誕生日やクリスマスのプレゼントはその時期に貰うのが嬉しい。何年も前に送られるのもありがたいけれど…」と言うこと。
決して「嫌」じゃないんだからね。
微妙な心情をわかってくれたら嬉しい。
と言いつつ、今回のケースカバーは、美人なお友達の誕生日がいつかを全く考えず、相手の「XM4を無くしかけた」と言う連絡から勝手にケースカバーを作って「これ今年の誕生日プレゼントな」と押し付ける形にした。
…正に「困ったこと」「風情がないこと」じゃーん!
悪事は自分に返る…うん、本当にそうなっちゃったな。反省。
落ちがよろしい様でテケテン。