トイレの神(蓋)様/レッグウォーマー/左か右か | lummoxの長い1日

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駄文、散文、写真、絵日記…何を書くかわかりませんが、その日の気分で…

 

  トイレの神(蓋)様

 

その昔、タモリさんがテレビの番組中に「トイレの自動開閉蓋ってなんの意味があるの!」と憤るように言うのを2度見たことがある。

期間をおいて別チャンネル別番組で言っていたくらいだから、タモリさんにとってはこの「蓋が自動で開閉するトイレ」が余程「無駄」で「これを必要とする人がいること」自体想像すらつかない代物だったのだろう。まぁ最後にそれを見てからまた数年経過しているので、今もそういう考えかどうかは知らないけれど…

 

私自身、高校生の頃に腰を痛めて以降、しつこく腰痛に付き纏われていて「結婚するから、君とはもう付き合えないんだ」と諭してもしつこく付き纏う腰痛に辟易としているし、そんな腰痛に対して「この浮気者!」と怒るでもなく「あら、まぁ。仕方ないわね」と私への付き纏いを許す妻の懐の深さにも感心するばかりなのだけれど、その腰痛の付き纏いの中で出会ったお尻洗浄トイレはかなり感動したものだった。うん、尻を拭くためのわずかな腰の捻りでさえ激痛のヒステリーで返す焼き餅焼きの腰痛を抑えてくれるそれは本当にありがたかったんだ。

 

そして次に降臨したのが蓋自動開閉機能付きトイレ。

初めての出会いは敦賀の原子力研究施設だったので、2000年代初頭の頃だったと思うんだ。

個室に入ったら勝手に蓋を開いて出迎えるトイレを見た時はびっくりしたけれど、腰痛により蓋を開けるために屈む動作がとても苦痛を伴う作業で毎回トイレに行くのが苦痛だったその当時、腰痛の暴力に本気で決別したいと真剣に悩んでいた時期だっただけに、この自動開閉蓋のトイレは僥倖だったんだ。まさにトイレの神様だった。

 

なので、タモリさんのこの言葉に対し、(虚しいことだけれど)テレビに向かって「なに言ってんじゃ!無知も大概にしろや!」と言い返していたのである。

 

この出会いからすぐに家のトイレを入れ替えた。たまたまその頃からリモートワークが増えてきた事もあり、腰痛との訣別も結構うまくいって、以降時々「復縁して!」と迫られる事もあるけれど「私には妻と蓋自動開閉機能付きトイレさんがいるからね!」と撃退に成功しているんだ。

 

タモリさんの身長がトイレとベストマッチしていて、腰痛を持っているにも関わらず、蓋を開けるために屈んでも痛みを伴わない…なんてことはまずないだろう。多分(少なくともこの放送当時の)タモリさんは腰痛とは無縁…つまりこの面では「無知」でいらっしゃるということなのだろうと推測する。

 

ここでも何度か書いているけれど、足を怪我してギプスで固められたりすると、それまでは何の不自由も感じず普通に歩いていた歩道のうねりで足を運べつ立ち往生してしまったり、違法駐輪している自転車が邪魔で歩道を歩けなくなってしまったりする。

健常な時には「んなことなかろーもん!」と想像すらつかない不便さがそこら辺中に広がるんだよ。

また「これくらいいいや」って感じで分別を適当にして捨ててしまうゴミ。1人が「ほんの少し」分別を無視したゴミを出しただけでも、それが何万と集まると当然ながらものすごい量になる。どれくらいの量になるか想像できない人が多い…というより、誰も想像すらしないだろう。

 

結局さ、自分が体験したことのないことは想像しようがないんだよね。

いくら「良心」だの「常識」だのと力説しても、全く経験したことがない物に対しては良心も常識も育むためのスタート位置にすらつかないって事だよな。

「知らないことは恥じゃない。知ろうとしないことが恥ずかしいことなんだ」…漫画やドラマに出てきそうな臭いセリフだけれど、真実だと思う。

臭いものには蓋をして隠す前に、本当に臭いものは困ったちゃんなんだよと経験させて「だから隠すんだよ」と諭すのが正解。

だからね、国民は中学を卒業するまでに…いや小学校の道徳の時間にでも「足にギプスを巻いて1週間過ごす体験」を義務化すべきだと思うんだよ。そして中学では男女を問わず「主婦(夫)の生活体験(将来「主婦なんて何にもしていない」なんて誤解をしないための教育)」「ゴミ処理場での分別体験(1人の「これくらい」が集まった時の暴力体験)」を必修とすべきなんだよ。

 

話が大きくなっちゃったね。

単に無知は自慢にならない。知らんことは知りようがない。知るためには体験が必要ってことだな。

 

 

  レッグウォーマー

 

で、話は変わるのだけれど、この冬は右足のふくらはぎが睡眠中に攣って苦しむ事が多かった。今までもそれなりにあった事だけれど、今冬は群を抜いて頻発したんだ。泣きたくなるくらい。

 

指が攣ったとかなら対処法もわかるのだけれど、ふくらはぎが攣った時の対処法ってわかる?

足をどの方向に動かしても痛いし、筋肉の緊張を和らげられる気がしない。まあお手上げだ。

そんな中、経験則として「ベッドから足を上げてサッシを閉めるように窓枠に沿わせて足を置く」と痛みが少なくなり、すぐに緊張もとれることを発見した。ベッドと窓の高さが微妙にマッチしているようで、他所で足が攣った時、同じように足を上げても全く効果がない。

 

他に対処法はないものかと調べた時足を温めるのも解決策、予防策の1つと知った。

それで試してみようと思って購入したのが「レッグウォーマー」だった。

レッグウォーマー…なんと言うか「私には一番縁遠いモノ」の最たるモノではなかろうかと思うくらいのモノだ。勝手なイメージで言うと、バレエをする人、それも女性の装備品ではないか!←もう一度書く。あくまでも脳内イメージだ。

そんなイメージに凝り固まっていたので、「レッグウォーマーを買う」なんて発想はそれまで全くなかったんだ。

 

でも、先のトイレの如く、「先入観でダメと思ったらいかん」と言う達観から、「もうジジイなんだから格好より実をとれ」と言う年寄り感から、そして何より痛みから逃れるためには藁をも縋れと言う思いから買ってみたんだよ。

そしたら、奥さん、聞いて聞いてよ。ほんとにこれが大正解だったのよー。

 

足が攣るのを防止する目的で購入したレッグウォーマーだったけれど、ここ一連の膝痛でも活躍してくれた。

膝が痛くて曲げられないので、風呂に入るのも一苦労だ。

膝が曲げられない状況で、足を伸ばしたまま湯船に入れる?湯船で腰を落とせる?大仕事だよ。

更にはパンツを脱ぐのも履くのも痛みと悲鳴の2大スターの共演だよ。

膝を伸ばしたまま…ああ、そうか体が柔軟ならなんの苦労もないかもしれないな。でも、私はジジイらしく体が硬いんじゃ…パンツを床に置き足先を滑り込ませ、足を曲げないよう、動かさないよう少しずつ引き上げて…大仕事だよ

更に足首丈のスウェットパンツを履くとなると…ね。

痛みを少しでも軽減するためには、足首丈よりハーフパンツ。

でもハーフパンツだと膝が冷えてね。そんな時活躍するのがレッグウォーマー!

こんなところでも役立つんだね。

 

知らなければ…と言うこととは直結しないかもだけれど、格好つけて「買わん!」と突っぱねていたりしていたら、いつまでも痛みに苦しんでいたことだろう。意地を捨てて使ってみて、実際にその便利さを知ることができたので応用も効いたと言うこと。

ジジイの意固地は害毒以外何者でもなかったと言うことじゃ。

 

ジジイのぼやきを1つ。

下着のパンツをパンツと言うのに異論はなかろう。

でも、その上に履くパンツは何と表現したら良いのだろう。

昔ながらの長ズボン、半ズボンなどという言葉が今の人たちに通用するのか?

言葉はどんどん変わっていく。昔ながらの言葉が淘汰されていくというほど急流でもないとは思うけれど、「標準語」のつもりで使っていたら「それはもう古代語。誰も使っていない」なんてことになっている言葉もありそう。

ジジイになると、そんな切り替わりにも疎くなるのが生きにくいところかもしれないな。

で、なんて表現するのが正解なんだ?

 

  左か右か

 

テレビを見ていたら「右に出るものはいない」というフレーズが聞こえてきた。

 

左大臣/右大臣では左大臣の方が偉いんだよね?

 

これを正とすれば、「右(格下)に出る者がいない」って

まずは俺様ありきで『俺と並べる奴がいない』と見下しているのか?

 

しかし「左遷」と言うような「右>左」…左へ行くと格が落ちる事を示す言葉もある。

全く逆じゃね?

 

不思議に思ってちょっと調べてみた。

 

「右に出るものはいない」の意味は「その人より優れた人はいない」であっていた。決して見下した表現ではない。

では「右」は格上なのか、格下なのか…

 

結論としては、明確な答えはわからなかった。

混在する理由としては

  • 由来は古代中国
  • 古代中国では右<左が多かった
  • ただ、古代中国でも地域や時代で左右が入れ替わる事もあった
という事らしい。
なので、言葉が入ってきた時代によって左右どちらが上の表現になっているか変わっていても不思議ではないということか。
 
何となくわかったような気もするけれど、やはり腑に落ちないことには変わりがない。
使われる場所が違うので淘汰される必要もなかったのかもしれないけれど、相反する表現が共存してきたっていうのは不思議だね。
 

今回参考にさせていただいたサイトに感謝。