発達障害の人(推測)との接し方(独断) | lummoxの長い1日

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駄文、散文、写真、絵日記…何を書くかわかりませんが、その日の気分で…

設問1.

A:「あずきバーが食べたいな」

B:「それも良いけれど、私はポテチを食べたいと思っていたんだ」

A:「それにしよう」

B:「おけ」

Bはお菓子を取りに行きました。

 

問題:1.

AとBは何を食べる事にしたか?

1)あずきバー

2)ポテチ

3)あずきバーとポテチ

4)どちらでもない

 

設問2.

慎重派のAはBを呼び止め確認することにした。

A:「ねぇ、それにしようの『それ』とは何を指している?」

B:「ポテチだよね?」

A:「おけおけ。間違っていないよね。じゃあ宜しくね」

 

問題2.

Bは何を取りに行ったか。

a)あずきバー

b)ポテチ

c)あずきバーとポテチ

d)どちらでもない

 

設問1.では、Aは「あずきバー」、Bは「ポテチ」を提案し、Aが「それにしよう」と合意した事で、問題1.の答えは2)ポテチと期待できる。

 

設問2.では、Aが発した「それ」と言う指示代名詞が、Bに正しく「Aが今聞いたもの(Bが発した「ポテチ」と言う言葉)を指して「それ」と言ったと伝わっているか一抹の不安を覚えたため、改めて「それ」は何を指し示しているのか確認しようとした。

それに対しBは「ポテチだよね」と回答。自分の提案をAが受け入れた事を理解したと理解できる。

なので、設問2.の答もb)ポテチと期待できる。

 

では、結果はどうだったか。

Bは迷わず冷凍庫に手を伸ばした。

「待て待て待て待て!まてぇぃ」

思わずAは叫んだ。

A:「君は今、何を持ってこようとした?」

B:「あずきバー…だよね?」

A:「はにはに?」

B:「だって、Aはあずきバー食べたいと言ったじゃない?」

A:「つい今さっきのお話で、『それにしよう』ってポテチにお互い合意したんじゃない?『それ』だと一抹の不安があったから、『それ』は何を指すって聞いたら、「ポテチ」って答えたよね?その一連の作業は何のためだったの?」

B:「え~!なんでだろう。どうしてそう考えちゃったんだろう」

 

先日も「心の闇」って抽象的に濁した話を書いたのだけれど、うちの中ではこんな話が毎日のように起きているんだ。

 

有体に言ってしまうと、勿論Aが私でBが妻の事なんだ。

 

設問1は高確率ででは多くの人が(*1)(「それ」の意味が正しく通じれば)「ポテチ」を選ぶと思うんだ。

当然ながら、期待した通りの理解をしない他の答を選択した(*1)人もいると思うが、その期待と違う解釈をした「私の期待通りの答にならなかった人」の(*2)大半は『それ』の解釈が違ったのだろう。残念ながらどう解釈が違う答えを用意できるか、私の凡庸な頭では想像が及ばないのだけれど…

 

私も『それ』じゃわからーんと言われるかもしれないと思ったので、改めてそこで「それは何を指す?」と設問2.を確認した訳だ。

そこで「ポテチ」と返ってきたので安心したんだよ。

この答えを得て、お互い「ポテチ」を期待していると思う事に何か問題があるかな?

 

なのに、妻は迷いなくあずきバーを取りに行った。

そして「なんで?」と聞くと「さぁ?」と答える。

 

「そんな事あり得ない!」と言うつもりはないんだよ。

チョコレートを握りしめているにも拘らず、頭の中で「自分は今海苔を持っている」と思い込んでしまう事はあると重々承知している。

「そんなことある筈がない」と言う人もいるかもしれないけれど、信じられないところで思い違うから思い違いなんだよね。

 

私も先日ユニクロにネット注文をして、店舗引き取りを選択した。

その商品を店に引き取りに行ったんだけれど、自信をもって無印良品のレジの行列に並んでしまったよ。

危うく恥をかくところだった。妻に「ここ無印良品…」と囁かれて逃げるように店を出てきたばかりだ。「ユニクロの商品を受け取るために店に並んでいる」と信じて疑っていなかったよ。

 

他にもそんな経験があるし、他の人のそんな失敗をいくつも見て来た。だから、そんな失敗が「あるよねぇ」とは思っているんだ。

 

でもさ…

 

その「あるよねぇ」って言葉の前には(たまには)「あるよねぇ」って言葉が付くと思うんだ。

でも妻の場合は(毎日のように、毎回のように)「あるよねぇ」なんだよ。「またかよ!」ってなっちゃうんだ。

 

(たまには)なら、人は笑ってその失敗を許す事ができる。

自分だって(たまには)そんな失敗をするんだし、(たまに)発生する些細な失敗を目くじら立てて怒るほどのことなかろうもんって事だ。

 

でも、それが(また)(今回も)となると、笑って許す余裕(*1)がなくなってきちゃうんだよね。「ねぇ、『それ』ってなにって確認したよね?」「お互い『ポテチ』って認識したよね?」「どこにあずきバーが出てくる余地があるの?」

先の設問と同じように書いたものを明示して確認するんだけれど、返ってきた答えは「旦那が食べたいと言ったから、あずきバーにすると思っていた」と。

まるで私が妻の意見を尊重しないダメ旦那だと受取られ兼ねない答えが返ってくる。私はいつも妻の食べたいものを優先しているよね?

「そんな訳ないよね」と続けると「後は理由が思い浮かばない」「分からない」となってしまう。

 

多分、妻は少なからず発達障害を患っているんだろうなと思う。

この手の失敗が本当に毎度の事なので、この病気を知って以来ずっと発達障害ではないかなと思っているのだけれど、仕事をする分には支障がないらしいので、医者に行っていないんだけれど、ため(*1)多分そうなんだと思っているだけに留まっている(*3)

 

「発達障害」と言う言葉を知らなかった頃は「何でそんな幼稚園児でさえできるであろう(*3)事ができないのか?」と怒ったり呆れたりもしていたけれど、その言葉を知ってからは次のような事を心掛けている。

  1. 事実を受け入れる
  2. 同時処理は苦手と理解する
  3. 頼み事は1度に1つとする
  4. 相手に合わせる
  5. 曖昧な言葉を避ける
  6. 失敗しても(極力)怒らない
  7. 感謝を忘れない
  8. 自信を持ってもらう

専門家ではないし、単純に妻と長年接してきた経験則だけれど…

 

事実を受け入れる

妻は「そんな事幼稚園児でもできるでしょ」「常識でしょ」が通じない(ところもある)。

 

まずはそれを受け入れる事が肝心だ。

 

同時処理は苦手と理解する

車の免許を取る時も(当時はAT免許なんてなかったのでMT免許なんだけれど)、ただでさえ、アクセルとハンドルを同時に操作しなければならないのに、止まったり変速したりするのにブレーキやクラッチを操作しなければならないし、更に交差点となれば方向指示をしたり安全確認をしたり、更には曲がる目標をみつけるなど同時にこなさなければならない作業が増える。結果、その教習所の記録となるような補習(*1)を受けた。

免許を取得した後で何度か車を運転したけれど、新しい操作をしなければならなくなると、なにか1つ抜けていく…そんな感じで怖いことこの上なしの運転だった(よく教習所は卒業させたな…)。今はゴールド免許のに輝く(*1)身分証明書となっている。「金輪際絶対運転はしない Never!」と力強く言っている。

 

車の運転に限らず、無意識のうちに複数の作業を同時に行う事は多々ある。投げたボールを捕球するのも、ボールの描く放物線を予測し、その地点に移動し、ボールを目で追いつつ、手を伸ばして微調整する事でボールを捕球するし、野菜を千切りにするさぎょう作業(*1)だって、左手で野菜を抑えつつ、右手で握った包丁が左手を削がないよう力加減や角度を調整し、まな板に当たる包丁の音で刃の当たり具合、野菜の切れ具合を認識しながら適量包丁を戻してと言う連続作業を素早く行う作業だ。

 

だれもが、少なからずマルチタスク(同時に複数作業を行う)はやっている。器用な人はそれを多数同時並列でできるし、不器用な人は同時並列できる数が少ないという事だろう。

一般的な人が5~10個くらいだとすると、妻は3個…頑張って4個くらいが限度なのだと思う。なので、車のブレーキを踏むとアクセルを操作する事とか周囲の安全確認をする事が抜け落ちてできなくなってしまうのだ。結果、ぎこちない、危険極まりない運転になってしまうんだよね。

 

頼み事は1度に1つとする

妻に「茶碗を持って行って、ご飯を盛って」と依頼すると、この一連の作業なら問題なくできるけれど、「茶碗を持って行って、ご飯を盛って。それが終わったらコップを並べて水を入れておいて」と一連ではあるけれど、2つの別処理を依頼した場合の成功確率は75%くらいかな。

 

「茶碗を持って行ってご飯を盛って。それが終わったらさっき預けた書類を引き出しの中にしまっておいて」とか「茶碗を持って行って、ご飯を盛って。それから洗濯物を取り込んでおいて」など全く別種の2つの作業を依頼すると成功確率は60%位になる。

 

「ちょっと出かけるのでその間に皿を洗っておいて。30分後に洗濯機が止まるので、洗濯物を干しておいて」という全く別種の2つの時間差を伴う作業依頼は成功確率25%あるかな。まず、洗濯物は取り忘れている事だろう。

 

「なぜできない?」と言うのはナンセンスだ。できないからできないんだよね。その事実を受け入れるしかない。理屈はいらない。

 

頼みごとを単純にして、1つずつ作業を頼むようにすればできるのだから、依頼する方法を妻ができる形で行えば良いだけだ。

 

相手に合わせる

依頼する言葉を極力単純にしないと、とんでもない解釈をされたり、理解できず結果何をしていいか分からないでオロオロと言う事になり兼ねない…と言う事も受け入れる。

 

簡単な言葉で、「(いつ)」「なにを」「どうしてほしいか」を分かりやすく、誤解の入り込ま(*3)ない形で組み立てる努力は依頼する側の責任だ。

 

理解されなかった場合は、「説明が下手だった」と認識し、しっかり理解されるまでイライラせずに対応する。

決して自分の速度ではなく、常に「妻の速度」、「妻のペース」を意識する事が大切。

 

曖昧な言葉を避ける

理解されるための手段として、「あれ」「それ」「あっち」「こっち」などの曖昧になる言葉は極力避ける。

これが難しいよね。ついつい使っちゃうものね。

 

だから気付いたらすぐに補足するようにしているんだけれど、今回の様に補足して尚間違われると「じゃあどうしたらいいんだよぉぉぉ」と落ち込んでしまう。

でも、損害が出るような失敗でもないし、誰が迷惑を蒙る迷惑でもないならば怒ったりせず、笑って「失敗しちゃったね」と流すべき…でも、その失敗が(毎度)なのでなかなか笑って流すのが難しくなっているのもあるんだよねぇ。

 

失敗しても(極力)怒らない

「なぜできない」と思うような失敗や、「なぜ理解にそんなに時間が掛かる?」って事に極力腹を立てない事が大切。

 

出かけるなど私が出掛けている(*1)間の作業など、どうしても依頼を複数にせざるを得ない時は、LINEなどを利用して文章に残るようにする。そして「30分後に~」などの指示は、その時間頃に改めて「さっき頼んだ〇×だけれど、そろそろ時間だからお願いね」等と促すようにする。

促す事を忘れたり、促す事ができず、妻が依頼を達成できなかった場合は、その失敗は「私が正しく指示できなかったせい」だと理解し、妻を責めてはならない(*3)

 

感謝を忘れない

逆に「時間だよ」と伝え忘れたのに妻が依頼をしっかりできていたら「すごいぞ」「ありがとう」と伝える事を忘れないようにする。

褒められて、感謝されて当然の事(とーちゃんの失敗のフォロー)をしてくれたんだからね。

 

自信を持ってもらう

つい声を荒げてしまった場合は、すぐに謝罪し「そんな些細な失敗を気に病むことはない。声を荒げるとーちゃんが悪かった」と伝え仲直りしてもらう。

 

複雑な事を理解できないとか、忘れっぽいとか、様々な「簡単な事なのにできない」は能力の欠如ではなく、単なる病気として捉え、「病気なので」できる事とできない事ときちんと切り分ければ、「些細な」失敗を気にする必要はないと思っている。それを妻自身も自信をもってそう認識できるようになってもらえる事を大事にしたいのだ。(*3)

 

けれど、多分に幼少の頃から病気と言う認識がなく否定的な批判にさらされることも多かったと思われる。

結果として本人も常に自己評価が低いので、これ自信を持ってもらうという作業も(*1)もかなり大仕事だ。

しかし、自己評価が低いが為に発生する失敗もある為、自己評価改善はとても大切と考えている。性格を変えるような事はできないとしても、多少なりとも(今より)自信を持つことは大切と思う。

 

 

 

 最後に(*3)

「発達障害」と言う言葉は知られるようになってきたと思うけれど、発達障害を持つ人と接する時に「どう対応すれば良いか」はまだまだ一般的ではないと思われる。

 

医者に診断された訳ではないので、妻が本当に発達障害なのかもわからないし、発達障害であったとしても、この接し方が本当に正しいのかどうかもわからない、根拠のない経験則だ…という事が前提。
その辺りを踏まえていただいた上で、同じような症状の人と接する人の何かの手掛かりになれば幸いだと思う。

 

 

*1:2022/10/24 14:14 文章訂正

*2:2022/10/24 14:10 冗長削除

*3:2022/10/24 14:18 文章挿入