裁判って… | lummoxの長い1日

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駄文、散文、写真、絵日記…何を書くかわかりませんが、その日の気分で…

 

  前置き

 

昨日書いた「任意保険の弁護士特約…」

 

ちょっと分かり難い表現があったので訂正をして、ついでに余談を追加…と思ったら思いのほか長くなったので、その部分だけ独立させて書いておく。

 

 

  ざっくりいうと…

 

交通事故(相手にぶつけられた。誰が見ても相手に非がある)にあった。相手は「自分は悪くない」と主張し、修理費の支払いも拒否。それをようやく納得させたけれど、慰謝料の請求は無視を決め込み、仕方なく裁判。相手不在のまま結審し、その結果によって慰謝料請求するも無視。なので差し押さえをしたら、慌てて弁護士を立てて交渉を要求してきた。

 

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これはあくまでも余談だけれど…

 

相手弁護士の言う事には、相手は裁判が行われたことすら知らなかったと主張しているという。相手から渡された連絡先に内容証明で通知を送っているにも拘らずだ。

 

「自分ではない誰かが受け取って、私(相手)に渡さなかった」という主張だ。

既に結審した裁判の判決について、「知らなかった」で交渉に応じる必要があるのか?あの裁判は何だったんだ?と思っちゃうよね。

改めて書くけれど、私は真っすぐ自分の車線を走っていただけだ。相手が、自分の走っている車線が前方で工事中となってふさがっているから、相手が譲ってくれるに違いないと勝手に思い込んで安全確認もせず(そう公言している)車線変更をしてぶつけてきたのだ。

 

誰がどう見てもこちらに非はない。交通事故の良くない慣例として(と言いたい)、こちらも動いていたからわずかながらもこちらに非があるとされるけれど、どんなに悪くとられてもこちらが悪かったという状況にはなり得ない(実際1:9とされた)。なのに、ずっと「私は悪くない。譲らなかった方が悪い」と物損事故の支払いさえ拒否し続けられた。慰謝料請求も裁判までさせられ、結果ここまで2年を要している。

悪意に満ち満ちているのは明白なのに、それを「てへっ!知らなかった」で済ませるのか?

 

殺人をした後で「心身盲弱な状態だった」とか「殺意はなかった」とか、「よくもそんな言い訳を…」と思えるニュースを度々目(耳)にするけれど、これも同様、「ふ・ざ・け・ん・な・!」と言う怒りの気持ちが湧いた。

しかし、こちらの弁護士曰く「感情は分かるけれど、そういう事もあり得るので無碍にはできない」のだそうだ。
 

  労働裁判では…

 

労働裁判の時も思ったけれど、相手弁護士は「よくもまぁこれだけ、嘘を並べて来られるな」と感心する…いや、ウソと言い切るのは弁護士に失礼かな、「与えられた資料の中で、想像しうる相手の落ち度を創作する能力に長けている」と感心すると言えば良いのだろうか。


当然弁護士は当時の状況は知らない。与えられた資料や依頼者の言い分と持ち前の法律知識と今までの裁判の経験しかない中で、最大限依頼者の権利を守れる穴を見つけて、その穴が当然相手の落ち度のように理論武装した話を「創って」くるのだ。

 

当事者としては「ふ・ざ・け・ん・な・!」と言う気持ちにさせられるような与太話も多い。

例えば(自分の裁判の例は持ち出せないので創作だけれど)こんな感じ…

  • 「上司の暴言に精神的に参った」と言う話が「上司は激励をしてたのに、常に原告は非協力的だった」に。
  • 「上司が思い付きで予定を変更するため、計画的な仕事ができない」が「臨機応変な計画に原告はついてこられず、常にお荷物的存在だった」に。

言った言わないを避けるためには「録音・記録が全て」なんだ。

 

労働裁判では、サービス残業をさせられていた(定時にタイムカードを押させられていた)としても、業務日誌に「こんなこと書くな」と証拠を隠滅を指示させられたとしても、自分の日記に「〇△:◆◎まで※$£φをするために残業をした」などと毎回「実際はどうだった」と記載を続けるだけでも大きな効果があり相手主張を退ける可能性が高まる。

 

交通事故は事故の当事者になるつもりなどさらさらないにもかかわらず突発的に当事者になってしまうけれど、労働裁判の場合は裁判を起こす何かの兆しが先にある。

ならば、この兆しを感じた時から、この先裁判をするかどうかわからないけれど、「取り敢えず証拠保全しとこ」と行動するのが賢明な判断かと思う。

「いつでも相手を訴えられるんだぜ」と言う気持ちがゆとりをもたらしてくれる事もある。

 

  裁判とは…

 

実際に裁判までしなければならない事は多くはないと思う。

日本ではまだ「裁判=余程の大罪」的認識があるからね。

今後日本がアメリカのような裁判大国になっていくかどうかは疑問だけれど、江戸時代のような「お上に逆らったら打ち首」のような時代はとうに終わっている訳だし、個々の権利重視も浸透してきているので、今までより裁判はもう少しだけ身近になっていくと思うんだ。

 

それを踏まえて、いつ自分が当事者になるか分からない時代の心得として覚えておいて欲しい事は次の通りだ。

 

事前準備が大事

何もなしに裁判をしても、相手に「それは誤認」と言われ、それを覆す証拠がなければ、のらりくらいかわされ最終的に負けてしまう(望みの結果を得られない)。労働裁判は事前の証拠集め、交通事故は事故直後からの現場保全、相手の言質などが重要だ。ドライブレコーダも大きな武器になる(諸刃の剣になり兼ねないけれど)。

 

 

感情論は無用

実情を知らない弁護士が、資料と相手の言い分から見つけた穴を論理武装して攻撃してくる。なので感情的になっても無駄。

 

労働裁判の時の弁護士曰く「相手の作り上げた嘘(創作)を1つ1つ論破していくのが裁判と言うゲーム。だから証拠が全てなのだ」(意訳)

 

それを踏まえて、いざという時はゲームを楽しめるようにしよう…