6月30日のニュースなので、ちょっと時期を逃したような気もするけれど、こんなニュースが目に入った。
要約(意訳)すると、東京地裁は次の理由で、性風俗業者へのコロナ給付金不支給は合憲と言う判断をくだしたという事。
性風俗業者は「大多数の国民の道徳意識に反するもの」だから給付金の対象外とする合理的な根拠がある。
私には理解不能だ。
もし、道徳的に問題があって、差別されるに値するようなものであるならば、なぜそれを「違法」として取り締まらないのだろうか。
私は以前はヘビースモーカーだった。
1日にハイライトや缶ピース、手巻きたばこを120本ほど吸っていたんだ。その時は「たばこはやめられない」と思った。
でも、ある日禁煙を決意してやめた。
やめた直後は、他の人が吸うタバコの煙が心地よかったけれど、程なくそれを不快に感じるようになってきた。タバコを吸わない事に体が慣れてきたって事だね。
ちょうど、世間では「嫌煙権」とか言う言葉がはやり始め、禁煙をする事が正義と言うような流れができ始めてきたころだった。
私は元喫煙者だからと言う訳ではないけれど、今でも「法律で禁止されている訳ではなく、逆に『法律で二十歳異常以上(*1)は喫煙の権利を保障されている』(*2)のだから、喫煙する人にもは(*3)吸う権利があるでしょ』(*2)」と言うスタンスでいる。
確かにタバコを吸わない人にとって、近くで無遠慮にタバコを吸われるのは不快でしかないし、その煙に健康被害の可能性があるとしたら迷惑でもある事は間違いないとは思う。しかし、だからと言って、例えば喫煙可の店内で自分が不快だからと近くでタバコを吸っている人に「タバコをやめろ」と言うのは暴挙だと思うし、喫煙できる場所を提供もせず、禁煙ばかりを推し進めていく事は、ある意味迫害ではないかと思うのだ。
喫煙する事が良いかどうかの是非ではなく、少なくとも法律で保障された「喫煙」の権利はきちんと守られるべきだという事だよね。
道路で歩きたばこが禁止されるのはある意味仕方のないことかもしれないし、多くの店で禁煙とされるのも、それが民営の店であるなら経営者の判断だ。でも、「公共の場」と名が付くところであるなら、禁煙に配慮しつつも、喫煙の場所は提供されるべきだろう。
今回の性風俗業者への問題も、考え方は同じだろう。
多くの人(非喫煙者)は、性風俗業(喫煙)者に対して良いイメージを持っていないかもしれない。でも、ここで取り上げられている性風俗業者は、なんら法律を冒している訳でもないただの企業だ。
差別される謂われはなかろう。
どんなに良いイメージを持っていない人が多かろうと、真っ当な企業として、法律で認められている限りは平等に扱うのが正しい判断だろう。
これの差別(*3)が認められるなら、次は「〇×(具体的なものを書く事は避ける)業者なんて汚いだけだから、社会的に平等と見做してはいけない」とか、逆に「政治家や医者なんて、ただでさえ裏で金を設儲(*1)けているんだから、そいつらからだけ金をとればいいんだよ」とか、どんな差別もまかり通る世の中になるんじゃないのかね。
個人的には、これは高裁で判断がひっくり返る事を祈っている。いや、ひっくり返るべきだと信じている。
それにしても、ここ何年かの判決を見ていると、東京地裁に「三権分立」と言う言葉を知っている人がいるのか私には甚だ疑問に思えてくる…そう言いたくなるくらい、行政に忖度したような判決が多いように思うのだけれど、本当に彼らに裁判を委ねて良いのだろうか…(*4)
*1:2022/07/04 15:50 誤字訂正
*2:2022/07/04 15:52 』移動
*3:2022/07/04 15:55 文章訂正
*4:2022/07/04 16:01 文章挿入