今日は梅雨の晴れ間を狙って、ムーヴのオイル交換に行ってきました。

買ってからまだ4年未満なんですが走行距離は既に8万キロを超えています。

どこまで伸びるのだろうと思いつつ。

それと、リコールが出ていたのでその対応もしてもらいました。

最近は様々な車でリコールが出ているので、たまには自分の車の情報を検索してみるのもいいかもしれません。

(私のブーンはほぼ出尽くした模様です)

 

昨年はウォーターポンプから異音が発生し、かろうじて3年未満ということで保証対応してもらいましたが、今回は運転席側のドアミラーの動きが怪しくなってきました。

エンジンが止まると畳んでエンジンを動かすと開く設定にしているのですが、ググってみた所ドアの所のスイッチが不良になっている事例が散見されました。

しかも、そのことについて妻に聞いてみると1年前には既にたまにそんな状態になっていたとのこと。

完全に壊れるまで自分から動きたがらないというか、不具合が出た時に保証で対応してもらうことに対して抵抗があるというか、故障したらお金を出して修理すればいいという感覚で、私とはちょっと方向性が違ってます。

これもお金等に対する囚われがそこにあるという事を認識させるための学びなんでしょうけどね。

 

昨日読んだ本で見つけたこと。

人を否定することで自分を守ろうとすることは、自分の成長に寄与しない。

それは周りを下げて自分の位置を相対的に上にしようとしているだけのことだから。

更にそれは、自らゆっくりと退行しているということでもある。

又吉直樹氏の『花火』の中から個人的要約。

 

異音や誤動作等を軽いうちは見過ごすのがいいとは言いませんが、否定するよりもアウフヘーベン。

 

私は提供されているサービスは出来るだけ使い切った方が効率的だと考えていましたが、妻のような割り切った考え方もたまにはいいかもしれません。

方向性を決めてしまえば世界の見え方がシンプルになりますし。

 

というよりも、本当のポイントはそこでは無いということに気づきました。

基本的に、妻が自分の車だと思っているムーヴに誰であっても干渉されたくないんだなと。

私があれこれ口や手を出すことを煩わしく思っている部分があったのだと。

今日も、オイル交換よりも遠出の方を優先させようとしていましたし。

私は命を乗せて走る車なので最も良い状態で性能を発揮しそれを維持してもらいたいと考えていたのですが、そうでない人もいるということ。

まあ、会話不足ということでもあるんでしょうけどね。

 

 

 

本日ふと浮かんだこと。

 

未来は決まっている。

しかし、どの未来を選ぶのかは決まっていない。

 

現在から見れば過去は必然。

それは今毎瞬選択している未来から見た今も同じこと。

 

 

もう一つ。

 

オイル交換の時に見えた道路標識から連想したこと。

道路標識を人に例えると、標識部分が自分で横棒がガイドさん達で地面から伸びている柱がハイヤーセルフという感じかなと。

 

それが風で小刻みに揺れていました。

 

自分に伝わった事は、その衝撃の周波数は変わってもガイドさん達やハイヤーセルフにも伝わって、更にその基礎であるワンネスの所にも伝わっているのでしょう。

 

自分が体験した物事をどのように受け止めるのか、それが全体へ伝わっていく。

 

他の人がよく話している様に、自分を限界がある認識範囲の一部としての植物の葉に例えた方がもっと格好良かっただろうなと思いつつ。

でも、実際に目の前で道路標識が風で揺れていたんですよね。

自分の体験の記録であり今の自分の世界の見え方ということでもあるのでそのままにしておきます。

 

 

(追記)

昨日は『花火』入手する前にこれまで大事にしていたものを手放したりしていました。

その影響なのか、今日はちょっとネガティブ方向でした。

手放すに当たって長距離運転で脂肪が減った感じなので、筋トレをしたりダイエットをしたりすると筋肉や脂肪にあったネガティブが出てくることがあるそうで、そうしたこともあったのかもしれないと思いつつ。

手放した結果、窮屈であったと同時に守られていたという事を再認識したり。

それも必要な経験だったのだなと。