古典探訪㉜ バラモン教(ヒンドゥー教)と原始仏教 | 四柱推命日記

四柱推命日記

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前述したとおり、中国の思想史において

後漢滅亡後、三国志の時代以降は

中世紀とされ、外来思想である大乗仏教が

流入し、隋、唐の時代に

中国仏教として花開くことになる。

ゆえに中国思想を振り返る上では

仏教の存在を無視することはできない。

 

 

そこでインドにおける仏教成立の歴史を眺めると

仏教というのは世界五大宗教に数えられているものの、

歴史上、必ずしもインドの主流の宗教ではない。

寧ろ現在のインド国民の80%以上は

ヒンドゥー教徒であり、仏教やイスラム教は

国内10億人を超えるヒンドゥー教徒によって

弾圧される傾向がある。

 

現在のインドにおける仏教徒数は

仏教発祥の地にも関わらず、

なんと全人口の1%にも満たない。

 

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インド仏教の発祥は釈迦の誕生に始まり、

紀元前624年4月8日が誕生日という

伝承が正しければおおよそ

孔子の70年前の人物ということになる。

 

釈迦以前のインドの宗教は

ヴェーダの宗教、あるいはバラモン教と

呼ばれており、その発祥は

リグヴェーダに描かれる十王戦争の時代に遡る。

 

これによれば紀元前1200年頃、

今でいうアフガニスタン方面のアーリア人が

内部抗争を起こし、古代インドに南下してきて

現地住民を巻き込んで戦争を始める。

 

プール族を中心とする十王軍が

トリツ族、バラタ族に戦いを挑むが

敗北し、ヴァシシュタを司祭長とする

トリツ族の王、スダースが覇権を確立する。

 

こうして司祭階級であるバラモンを頂点として

厳格なカースト制度を持つアーリア人によって

インド先住住民であるドラヴィダ人が支配され

今のインドに至る階級社会を形成した。

 

※インドは国内では自国の事をバーラト

(Bharat)ともいい、

2023年には国際的な場で自国を

バーラトと呼称し始めているが、

これはバーラト族の国という意味である。

リグヴェーダにおける伝説的英雄、

バラトの子孫をバーラト族として、

その末裔を自分たちと定義している。

 

 

カースト制

 

バラモン(聖職者) 最上位

クシャトリア(王侯、貴族、戦士) 上位

ヴァイシャ(農工商) 中流~上流

シュードラ(隷属民) 下流⇒他の宗教などに改宗

ダリッド(不可触民) 最下流⇒カースト外とされ差別

 

 

さらに遡ると今のインド、パキスタン、

アフガニスタンはインダス文明の栄えた土地であり、

メソポタミア、エジプト、黄河長江に並んで

古代四大文明に数えられる。

インダス文明は紀元前2000年頃滅びたとされるが

砂漠化やモンスーンによる気候変動説、

アーリア人の侵攻によって滅亡した説などがある。

 

 

またアーリア人はゾロアスター教(拝火教)の

ルーツでもあり、その来世観や終末論は

仏教にも影響を与えているとされる。

 

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紀元前1200-1100年頃に成立した

アーリア人を支配階級とする封建制、

ヴェーダ信仰⇒バラモン教による神権政治は

インド現地の原始的な文化、習俗、神話、宗教

と混ざり合って一つの文明を形成する。

 

現代ではこれらを包括してヒンドゥー教と呼ばれるが

ヒンドゥー教やカースト制とは

いずれものちにインドを植民地化した

イギリス人の付けた名である。

(カーストはラテン語で純血、血統の意)

 

カースト制(ヴァルナ、種姓)の理論的説明は

輪廻転生観(サンサーラ)によって補強され、

前世の行いの結果が今世のカーストであり、

今世のカーストを全うする事で

来世は高いカーストに上がれるとされている。

 

カーストは親から子に引き継がれて

生涯変えることはできない。

ヴァルナは四つに区分されているが

その中でさらに細かい職業区分があり

血統による職業分類という点では

日本の古代の氏姓制度に近しい所もある。

 

初期のヴァルナは純血のアーリア人、

混血のアーリア人のうち

血の濃いもの、薄いもの、そして現地民の

4つを想定しており、これが後の

カースト制度へと変化していった。

 

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このようにインド原住民である

ドラヴィダ人が虐げられ

ヴェーダを信仰するアーリア人が

インダス川流域に移住しカースト特権を握る

上下格差の大きい社会体制の中で

仏教は産声を上げた。

 

 

それは同時期に発生したジャイナ教と同様に

反ヴェーダ、反バラモンの立場をとる

反権的、革命的な宗教であった。

 

 

釈迦は紀元前5世紀に釈迦族の王侯の

出自を捨てて沙問サマナの活動を開始する。

サマナとは反バラモンであり、

各地を放浪しながら道を求め

禁欲、節制、苦行する者を指す。

 

しかし釈迦は沙問の途中で

村娘のスジャータ―から粥の施しを受け

過度の苦行は悟りの妨げになることを悟った。

このことで苦行をやめた釈迦に失望し、

同行していた5人のサマナは離れていったが、

釈迦はまさにこの直後の瞑想で悟りに達する。

 

こうして29歳で出家した釈迦は

35歳で悟りに達し仏陀となったという。

 

 

カースト制に強く反対する釈迦の元には

多くの信者が集まって一大勢力となり、

釈迦が入滅したのちも着実に成長し、

紀元前3世紀のアショーカ王の時代には

仏教が国家宗教として採用され庇護されるに至った。

 

その過程で小乗仏教と大乗仏教に分裂はしたものの、

中央アジアや中国(後漢)にまで伝播したのである。

 

 

こうしてインド仏教の隆盛は800年以上続いたものの、

西暦5世紀ごろにはアフガニスタンに興った

遊牧民の白フン族(エフタル、白匈奴)の

インド侵攻、また仏教を支持しない

国内のヒンドゥー(バラモン)勢力により勢いを失っていく。

その衰退の様子は7世紀にインドを訪問した

玄奘三蔵の手記にも表れている。

 

比較的仏教寄りであったグプタ朝、

その後のパール朝が亡び、

中東のイスラム勢力がインドに侵攻すると

イスラム勢力も仏塔を破壊するなど

仏教を弾圧していく。

11世紀にはイスラム勢力がインドを支配、

13世紀にはモンゴル系が進出した。

 

また仏教が隆盛を保てなかった理由として

儒教などとは異なり、仏教勢力が国家の権力と

結託せず、宗派上層部もまた

世俗から離れた所にあった為であるとされる。

 

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こうしてインド仏教は急速に衰退していき、

各地でヒンドゥー教と仏教の

シンクレティズムもみられるようになる中、

インド国内では仏教が完全に

ヒンドゥー教の中に採りこまれてしまう。

 

そこでは釈迦は

ヴィシュヌ神の生まれ変わりとされ

人々を混乱させる為にこの世にやってきたとされた。

 

また仏教徒はカースト制の最下層に当てはめられ

差別弾圧されていったため、

13世紀にはインド国内から仏教徒はほぼ

淘汰されて消えてしまい

血統主義のカースト制がより強い力を持つようになった。

 

特に今に続くカースト不可触民の制度は

仏教が弱体化していった

5世紀~6世紀に確立されている。

 

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インドは1800年代にイギリスに植民地化されて

1877年にはヴィクトリア女王が

インド帝国の皇帝を兼ねることとなった。

 

帝国統治時代のインドではイギリスが

法の下の平等を掲げたことや教育制度の開放、

カーストに縛られない多くの新規職業も勃興し

制度が崩壊しつつあった。

同時にヒンドゥー教内部でも

宗教改革が進められるようになった。

 

第二次世界大戦後、超大国であった

イギリス帝国の国力は失墜し、

世界の植民地は独立へ向けて動き出した。

 

インドにおいてはヒンドゥー教と

イスラム教の対立から統一国家の樹立が

困難な状況にあったが

1947年8月、ヒンドゥー教多数地区は

インド連邦として独立を宣言。

 

1950年に新しいインド憲法を施行し、

インド共和国が誕生した。

 

インド憲法ではカーストによる

差別を禁止しているがカースト制

そのものは禁止していない。

 

その為、カースト最底辺の不可触民などは

今なお経済的な困窮から抜け出せないケースも多い。

下層階級の者はヒンドゥー教から

キリスト教や仏教に改宗する人も多いという。

インド独立後は不可触民10万人以上が

仏教に改宗したとされる。

 

 

現在、インド国内ではヒンドゥー教徒が

8割、10億人以上を占め、

それ以外ではイスラム教の信者が

約14%で2億人を占めているが、

イスラム教とヒンドゥー教の間では

常に宗教摩擦を起こしており、

少数派のイスラムが排斥されていっている。

 

例えば牛を神聖化するヒンドゥー教徒が

牛を扱うイスラム教徒やモスクを襲撃するなど、

世界の自国第一主義化になぞらえて、

ヒンドゥーナショナリズムなどとも呼ばれ

差別主義の横行が懸念されている。

 

 

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一方で現在のインドでは優秀な子どもを取りたてて

積極的に支援する制度も設けており、

現在までカースト最底辺の不可触民ダリットから

首相になった人物は二人いる。

 

一人は現首相のモディであり、

カーストではチャイを駅で売る最底辺の

ダリットから成りあがった人物である。

 

 

またインドの若者の間ではカーストに縛られない

新規分野のIT業界などで

一旗揚げようという者が増えてきているのである。

 

それは世襲制であるカーストを乗り越える

大きなチャンスでもあり、インド工科大学には

そのような野心を持つ優秀な若者が集まり、

やがては大学院からアメリカに留学して

米国IT企業に入社し、めきめきと頭角を現している。

 

 

近年ではMicrosoft、Adobe、IBM、

Googleなどの大手IT企業のCEOに

インド出身者が名を連ねる事も多く、

優秀なハイテク人材を多く育ててきたインドの

IT業界も大きな発展性を秘めている。