平成も明日で終わりですね、、
こんにちは!美と健康のコンシェルジュあさおくみです

穏やかで、お祝いムードで平成から令和へ移っていく感じですね。
さて、今日は「昭和の日」です。
昭和、平成、令和と3つの時代を生きることになります。
子どもの頃、明治生まれの人を見て、「えらい昔の人やな」と思ったのですが、自分がその立場になるとは💦
昭和から平成になった時の事を思い出してみました。 (脱線も多い回想録です)
昭和天皇はご病気で、崩御されるのも時間の問題となっていました。昭和63年入社の新入社員だった私は、年が明けた1月は泊まりがけの第2新人研修。
その当時は、会社が手厚く新入社員を育てると言う風土がありましたので、入社時の研修も長かったですし、半年後の研修も2泊ほどあったような気がします。
会社の自前の昭和な研修所は、駅から遠い山の中にあって、部屋は、木製ベッドと木製ロッカーが二つずつ、木の机が一つある小さな2人部屋でした。
もちろん、当時はコンビニなどなく、それどころか周囲には何のお店もありません。
後から知ったのですが、その土地は昔陸軍の射撃練習場があったそうです。(周りに民家があったら困りますね)私の父が、子どもの頃に山肌にめり込んだ弾を拾いに行ったと言ってました。(鉄の弾は売れたのです)
研修所にテレビはなく、携帯もない時代ですので、どうしても電話をかける必要のある人は玄関詰所の電話を借りる感じでした。
外部との接触がない研修が終わって家に帰ると、時代が昭和から平成に変わっていました。
私の勤務は百貨店で、研修中でしたので店にいなかったのですが、店はとても大変だったそうです。
いつ崩御されるかわからないから、白い菊の花を大量に確保し続けないといけないので、走り回っていたとか。(崩御されると一斉に店内に飾り付けたらしいです)
大喪の礼が粛々と行われ、世間は自粛ムード一色でした。
経済的には大きな打撃だったと思います。
生前退位と言うのは、経済活動や国民の事を考えての事でもあるのだなと、この投稿を書いていると気がつきました。
こんなにお祝いムードで新しい時代を迎えることが出来るのも、生前退位のおかげですね。
昭和の時代には、戦争、日本の高度経済成長がありました。
私が物心ついた時には、「もはや戦後はではない」宣言後で経済成長に入っていました。
最近になって祖父が大阪市内で営んでいた貸し長屋(今の賃貸物件)を空襲で全て失った事を知りました。そんな事があったなんて、全く知らず、ずっと農家だったと私は思っていましたから。後ろを振り返る事なく、先人が必死で生きてきたおかげで今の私達の生活があります。
昔は海外に行き、私が日本人だとわかると現地の人に「ヒロヒト!」と言われたことが何度かありました。日本人で一番有名な人でしたものね。
平成の時代には戦争がなく、平和でしたが、大震災や原発事故などがあり、平成天皇はお見舞いに現地訪問を度々されていらっしゃいました。
象徴天皇として生きた最初の天皇ではないでしょうか。お姿を拝見すると、ありがたく思います。
日本国の運気は、算命学では天皇の運勢でみます。元号が変わるということは、その意味でも時代が新しい運気に入るということなんです。
新しい時代、もうすぐです。
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