お蔭様で、出戻りブログがぼちぼち続いています。
いつも見にきてくださる皆さま、
本当にありがとうございます。

今日は型の最後の動きのことを思っていたので、そのことを書きます。
拳を収めて型を仕舞うこの動きが
実は一番厳しいものだと感じていて、
先日の水曜日クラスでもそのことをつい熱く語ってしまいました。
熱くなると、たぶん、
少し長くてしつこくて
同じことを何回も言ったりしているのではないでしょうか。
なので、ここには熱い内容をまとめて簡潔に書けたらと思います。

型の最後はいつも
「これが自分の経験したことです。」
と、毎回
自分の真ん中へ型を収めます。
動きとしては、
頭の上に高く上げた両手(剣を持っているときは片手)をゆっくりと体の横まで下ろしてくるだけです。
ところが、意外とこの動き
簡単にはできません。
堂々と責任を持って自分の型を収めることは
実は難しいことなのです。
型の中で経験した
思いどおりにならなかったことや
納得のいかないことや
恥ずかしく思うことや
なかったことにしたいこと
他にもいろいろいろいろですが、
これら全部を自分に収めることは
とても厳しいことです。
もし、この厳しい最後の収めがなければ
私はその木蘭拳の型は成仏できないような気がするのです。
木蘭拳の型は、上手下手の見分けを必要としていません。
経験したことを自分と統合するかどうか、です。
請拳収勢では、その有り様を問われます。
(熱さがクライマックスを迎えました。)
私が今日まで木蘭拳と離れられずにいた理由の一つはここにあります。
どんなことも自分の経験したこととして自分の真ん中に収める。
私の求める強さと繋がっている確かな感覚。
私はこの感覚を与えてくれる木蘭拳から離れられずに生きています。