とんでもなくお久しぶりです。
ブログを読んだよ、というお声に背中を押されて
久々に記事を書くことにしました。
ホメオパシー(類似療法)の勉強のこととか、
木蘭拳の稽古のことや子どもたちのクラスのことなど
書きたいことがたくさんあって溢れそうですが、
ここ最近で一番わたしを貫いたことを書きます。
教えてもらったことです。
先月、空(くう)のランチ会という会に参加するご縁に恵まれました。
ドフトエフスキー著『カラマーゾフの兄弟』 の有名な一節(だそうです)
「大審問官」 から読み取れることを題材に、
指南役の先生1名と参加した7名で、思ったことをシェアしていきました。
この一節で大きな柱となっているのは、
本当の自由とは何か ということ。
そこへ導いてくれるのが、
キリストが退けた悪魔からの誘惑(マタイ4.1-11)に関する
ドフトエフスキーの解釈です。
「地上のパン」と表現されているもの、
指南役の先生に教えていただいたのは、
これが 奇跡 と 権威 と 神秘 を指しているということでした。
わたしのようにお教室ごとをやっていると、
やっぱり皆さんにまた来てもらいたいですし、
教室でやっていることにはたくさんの方に興味を持ってもらいたい、
そんな思いは自然に湧いてきます。
そんな中で自分の弱さが出たときに、
奇跡をほのめかしたり、
神秘めいたことを言ったり、
権威者的に振る舞ったり していないか、
このことが、とても大切なことだと気づかされました。
誰かの体験談としての奇跡も、
他人の決断を支配する権威も、
魅惑的でしかない神秘も、
わたしたちから本当の自由を奪います。
何かを飲んで癌が消える体験や
カリスマによる人生への助言や
スピリチュアルな能力の誇示は
外側の問題です。
本当のことというのはすべて真理と繋がっているので、
突き詰めていくと同じことを言うことになる、
そうなるのですよね。
逆を言うと、
そうならないものは生きている人間の持っている問題、
ということになると思うのです。
唯一の真実は、自分の感じたことだと思うのです。
真実は、ひとりびとりの中心に
生まれながら備わっているのではないでしょうか。
すべての真実は自分の中心にある
わたしはそう信じています。
みなさんの周りで、
奇跡や権威や神秘に押し潰されそうな人はいませんか?
ますますの幸運が訪れますように