今日はとても優雅な木蘭拳を体験できました。
応美鳳(イン・ビホウ)会長の
(↑フォントは正しくありませんが)
DVDを鑑賞したことも、とても良かったです。
見た目にはとても滑らかで優雅、それでいて
しっかりと地に足が深く入っているし、
すべての動きが丹田を中心としているのがハッキリとわかります。
会長の木蘭拳を見ているとき、
ときには自分のムーヴメントの中に()
女性の強さを感じます。
それは一言ではとても説明できませんので、長くなりますが…
強がっていたら本当にもの凄く強くなってしまった、というような
切なさや哀愁を含んだ強さです。
ディズニーの映画にもなったムーラン(=木蘭)もそうだと思うのです。
(※因みに、応会長もこの映画に協力しています。)
本当は女性なのに、男装をして戦いに出る。
男の人と互角に戦えるほどに、
強くなくてはいけない理由を持っていた…。
わたしは女性の強さには、そういった理由の陰にある
哀愁を感じます。
かなり漠然とした感覚ではあるのですが、
本当にそうだと感じる確からしさもあるのです。
少し話しが移りますが、
先日わたしの友人が言ってくれた
女性性と男性性に関する印象的な話しがあります。
「 女性に生まれた人の魂は、充分な強さを持っている。
そのかわりに女性らしい母性からくる優しさや、
言わずもがなな相手の心を思いやる心を
この世に学びにきている。
男性に生まれた人の魂は、とても繊細で傷を受けやすい。
そのかわりに力の備わった能動的な肉体を与えられて、
この世で学ぶ。 」
というような内容でした。
女性に生まれて女性として生きるからには、
「女性らしくありたい」と思う心は自然です。
「それでも強くありたい」と思い、
強くなろうと強がっていて
本当に凄く強い女性として生きる。
わたしはこのことに異様な哀愁を感じます。
友人の言ってくれたように
魂の計画から外れる行為だからなのかもしれません。
なので(?)
木蘭拳は見た目が滑らかで優雅で
とても女性らしい武術ではあるのですが、
その陰にある
どうしようもなく切ない哀愁に
わたしは今日もとても共感しました