興福寺・長崎市寺町 | ルルな時間

興福寺・長崎市寺町

☆日本最古の黄檗宗の寺

山門…通称「あか門」。扁額の「初登宝地」は隠元禅師の御書。寛文3年(1663年・江戸時代)の長崎大火で焼失した初代の山門に代わり、元禄3年(1690年・江戸時代)に日本人工匠によって再建。
 

宗派…黄檗宗(おおばくしゅう)

山号…東明山

ご本尊…釈迦如来

創建…寛永元年(1624年・江戸時代)中国の僧・真円により創建された、日本で最初の唐寺。

大雄宝殿(本堂)…寛永9年(1632年・江戸時代)建立。国の重要文化財。中国工匠による純粋の中国建築で、氷裂式組子の丸窓、アーチ型の黄檗4天井などが珍しい。

鐘鼓楼…元禄4年(1691年・江戸時代)再建。二階は鐘楼を吊り太鼓を置いてるそうです。

 

三江会所門…「檀家に、三江地区(江南、浙江、江蘇)の出身が多いので、三江出身者の集会所が置かれたそうです。しかし、1945年の原爆で大破し、撤去されたそうで、現在は門のみが現存。

 

魚板…「庫裡」の入り口に下がる大きな魚鼓(ぎょく)は、日本に唯一残る明朝魚鼓の粋。

 

 

 

 

 

黄檗宗の開祖隠元禅師は、中国福州から承応3年(1654年・江戸時代)長崎へ渡海、興福寺住職として一年滞在した。将軍家綱に謁見したのち京都の宇治に万福寺を開山。黄檗宗の渡来は日本の建築、彫刻、絵画、書、茶、料理に多大な影響を与えたそうです。禅師が中国から携えた豆は「いんげん豆」とし現在も食卓にのぼっています。

興福寺に所蔵している、隠元禅師の三幅対(さんぷくつい)

 

 

大雄宝殿の屋根の上の大きな瓢箪があります。「瓢瓶(ひょうへい)」といい、火除けのまじないだそうで、火事等が発生した時に瓢瓶が開いて水が流れ、それが本堂を覆うという意味があるそうです。

御朱印もいただいてきました。「福」が来るようにと、「福」の字が逆さになっています。