ヘイフンテラス・ペニンシュラ東京・千代田区有楽町
☆娘二人と少し遅い母の日ランチ
ロビー装花は、大きな紫陽花とギガンジュームとスターチス。
広東料理・点心ランチ
豊富な山海の食材が使われています。広東が「飲茶」発祥地だそうで、お茶を飲みながら点心(小籠包、焼売、胡麻団子)を楽しみました。
テーブルには黄色い蘭が生けてありました。花器が不思議な形の一輪挿しです。挿し口が竹で、品がある器です。
中国らしい模様のプレイスプレートでテーブルセッティングされていました。箸置きは帆船の形で、グラスにも細かい模様が…
椅子は大きくて座りやすいです。お店の室礼が独特です。蘇州の古典庭園をモチーフにしてるそうで、落ち着いた空間です。
「ヘイフンテラス(起鳳臺)」とは鳥が飛び立つという意味だそうで、幸せの鳥が集うダイニングだそうで、天上には鳥籠が飾られています。
今回も、食事の前に出される「箸休め」の「胡桃の飴炊き」をお土産に購入しました。昨年は大きな瓶に入っていましたが、今回は小さくなり袋入りになっていました。
とても美味しくいくつでも食べれます(*^^)v
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日比谷交差点の東側の日比谷公園のはす向かいにあります。
2007年(平成19年)にペニンシュラ東京が開業。
その以前は、1952年(昭和27年)に「日活国際会館」が建築されたそうです。6階から最上階の9階は「日活国際ホテル」だったそうで、1954年には、マリリンモンローが宿泊し、石原裕次郎や美空ひばりが結婚式を挙げたそうです。
第二次世界大戦後から建築する前まで、連合国軍最高司令総本部が接収し駐車場として使っていたそうです。
1970年に三菱地所に売却され「日比谷パークビルヂング」に名称変更、オフィスビルになったそうです。
2003年まで営業を続けましたが、その後解体され、2007年には跡地にペニンシュラ東京がオープンしたそうです。
甲斐国分寺・笛吹市
☆創建当時は40mの塔が建ち、壮大な伽藍を誇る官寺
鐘楼門
宗派…臨済宗妙心寺派
山号…護国山
ご本尊…薬師如来
創建…天平13年(741年・奈良時代)に聖武天皇のよって建立された国分寺で、甲斐国国分寺の後継寺院。
旧国分寺は10世紀から11世紀頃に宅地化され衰退していったそうです。その後建長7年(1255年・鎌倉時代)に諸堂宇が焼失、14世紀頃に一時復興したが衰退、戦国時代に武田信玄により再興されたそうです。
旧国分寺跡が国の史跡に指定されたため、その跡地上にあった当寺は南西の史跡外に移転したそうです。
昭和57年に史跡保存管理計画が策定され、移転の協議が始まって28年、工事期間10年以上もかかって現在地に完成したそうです。天平創建以来1250年以上もの間、法灯を守り続けていたそうです。
薬師堂…薬師如来像は33年に一度御開帳される秘仏だそうです。次回は令和24年だそうです。
本堂
御朱印はご住職がお留守だったようで,いただけませんでした。この後旧国分寺跡を見に行って、帰りにもう一度呼んでみたのですがご不在で、とても残念でした!
浅間神社・笛吹市
☆甲斐国一の宮
ご祭神…木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)富士の神
創建…第11代垂仁天皇8年(紀元前22年・古墳時代)に神山の麓にお祀りされた。今ここを山宮神社と称して摂社となっている。
第五十六代清和天皇貞観7年富士山噴火の翌年(865年・平安時代)12月9日、木花開耶姫命を現在地にお遷ししてお祀りされたそうです。
随神門
手水舎…女神の井戸
拝殿・本殿
夫婦梅…紅色の八重咲でめしべが二本あり、果実は二本のめしべが結実するので、一花で二果を結ぶ珍種だそうです。
境内には梅の木がたくさんあります。
祓門…この門を通ると厄・災難は祓われ、神の御加護がいただけるそうです。
遠くに一の鳥居
御朱印帳も書いて頂きました。
大善寺・甲州市勝沼町
☆ぶどう寺・葡萄薬師
宗派…真言宗智山派
山号…柏尾山
ご本尊…薬師如来
創建…不詳。養老2年(718年・奈良時代) 行基が甲斐国・柏尾山で修行した時に、夢の中に葡萄(甲州ぶどう)を持った薬師如来が現れたそうです。満願を果たした行基は薬師如来の姿を像に刻んでお堂を建て、村人にぶどうの栽培方法を教えたと伝えられているそうです。
山門…江戸時代の寛政年間(1789年~1801年)に再建された。
本堂(薬師堂)…国宝。鎌倉時代1286年に幕府の執権北条貞時によって建立。関東周辺では最も古い木造建築物だそうです。
檜皮葺(ひわだぶき)の屋根が美しかったです。
拝観料500円払いますが、本堂の案内もしていただけます。江戸時代のままの中庭も拝見できます。
近藤勇最後の戦い 大善寺「柏尾坂の戦い」がこの場所です。わずか一刻(2時間)くらいで江戸に敗走したそうです。
境内からは勝沼町、甲府市、笛吹市の街並みがよく見えます。
山も天気が良ければ案内図のように見えるみたいです。
大善寺のご住職と地域の方が、ぶどう栽培からワインの醸造まで、昔ながらの手作りで造っています。ぶどうジュースを飲んできました。濃いしっかりとしたぶどうの味で美味しかったです。
御朱印帳も書いて頂きました。挟み紙にお地蔵様の絵が描いてありました。
お土産に赤ワインを買ってきました。
豊川稲荷東京別院・東京都港区赤坂
☆豊川稲荷妙巌寺(愛知県豊川市)の唯一の直轄別院(飛び地境内)
宗派…曹洞宗
山号…圓福山(えんぷくざん)
ご本尊… 豊川吒枳尼真天(とよかわだきにしんてん)仏法守護の善神。稲穂を荷い、白い狐に跨っておられることから「稲荷」となったそうです。
創建…文政11年(1828年・江戸時代) 元々は大岡越前守忠相の江戸の下屋敷日常信仰されていたそうです。大岡越前の下屋敷が赤坂一ツ木に移転し、毎月「午の日」と22日に門を開けて庶民にも参拝を許していたそうです。文政11年に妙巌寺が一ツ木の大岡邸の敷地を借りて豊川稲荷の江戸参拝所を建立したそうです。明治20年に現在地に移転。
本殿
境内にはたくさんの神使の狐がたくさん並んでいます。
御朱印帳も書いて頂きました。お寺の御朱印帳はここで購入した桜の御朱印帳を使っています。最初の頁の御朱印を見返しました。
中目黒八幡宮・目黒区中目黒
☆御神徳は国家鎮護・勝運招来・増産興業の神社
主祭神…誉田別命(ほむたわけのみこと・応神天皇)・天照大御神
応神天皇の子に仁徳天皇。母は神功天皇で、三韓征伐の時に胎中いたのが応神天皇。
創建…不詳。神仏習合時代に当神社を管理していた寿福寺が全焼して、古い資料が焼失しまったため。
当時の村指出銘細帳に、宝暦13年(1763年・江戸時代)と弘化2年(1945年・江戸時代)に「上目黒村別当寿福寺の末に上目黒鎮守八幡宮」の記載があり、氏子数四百戸、中目黒村境内地五三九坪の宮有地があると記載されているそうです。
手水鉢のお水も汲み上げた湧水
社殿
御神木…アカガシ
神泉…境内に上がる手枚の階段の石灯籠の所に水鉢があります。
この神泉は創建当時からあったわけではなく、1921年(大正12年)に神社の境内を拡張した際に水が湧き出たそうです。1960年代初めまでは崖を流れ落ちる湧水が見られたそうですが、宅地化で水が少なくなり、今は社殿裏の浅井戸に湧く水を引いているそうです。これまで水が涸れたことはなく、水質も保健所の水質検査でも飲料適だそうです。
手で触って飲んでみましたら温かく、水温は17.1度だそうです。
お水取りしている方がいらっしゃり、カバン3つにたくさん汲んでいました。
神池は神泉から溢れ出た水のようです。
目黒台の斜面に位置しているので湧水しそうな場所と思います。今まで見てきた湧水場所も皆「崖」の所でした。
書置き御朱印をいただいてきました。