不妊治療の末、2020年に42歳で自然妊娠し、

昨年コロナ渦の中で出産しました。

フランス在住ママです。

 

2022年に乳がんが発覚、右胸全摘。

なかなか濃い経験をさせてもらってます。

 

息子のルル君のことや、フランスでの治療や

日々の生活について綴っています。ニコニコ

 

ルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルンルン

 

気がつけば、あれよあれよという間に時は流れ、12月!

久しぶりのブログの投稿です。

 

こちらは、至る所でクリスマスのデコレーションが

溢れております。ルンルンルンルン

 

夏から色々ありまして、

海外に住むデメリット・辛さを痛感しました。

 

ちょうど8月のバカンスに出発する前日に日本から連絡があって、

「母親が救急車で運ばれた」と。

 

検査の結果、結腸ガンのステージ4で、

肝臓にも転移しているとのこと。

 

もう、青天の霹靂とはこのこと。

泣きっぱなしのバカンス旅行でした・・・。

 

私が8ヶ月ほど前に乳ガンで手術を受ける際に、

母親は日本から駆けつけてくれました。

その時は元気で、1ヶ月滞在して日本に帰ったのですが、

実はガン細胞は既に体を蝕んでいたのかなと思います。

下血などの症状はなかったのですが、

食欲不振、疲労感、腰の痛みが

ありました。でも、ちょうど夏だったので、

かかりつけの医者からも貧血との診断でした。

腰の痛みも、腫瘍の浸潤によるものだったのでしょうが、

単なる腰痛だと診断されました。

 

母親が倒れる前日まで、色々やりとりしていて、

「夏バテみたい」って言っていたので、

急に救急車?ガン?ステージ4?

もちろん、思考がついていきません。

 

何も気づいてやれなかったこと、

大変な時にすぐに駆けつけれないこと、

そばにいてやれない、何もできない自分が

悔しいやら、情けないやら・・・。

これが海外に移住するということなのかと、

思いましたね。

 

手術はしましたが、ガンは取り除くことはできず、

腸閉塞を起こしてしまっていたので、

人工肛門をつけることになって。

しばらくは面会もなかなかできない状態だったので、

母親の容体が落ち着いてきた10月頭から約5週間の予定で帰国。

母親の介護、今後の治療の方向性の話し合い、

母親は独居なので自宅介護の手配などに走り回って、

一言で「凄まじい滞在」でした。

 

すっかり痩せてしまった母親を見て、

本当に切なくて、涙が止まらない日々でした。

 

結局、延命の為に抗がん剤治療はしたくないとの

母親の意向を汲んで、自宅で緩和ケアをすることに。

私がフランスに帰国した後も、訪問看護・介護を受けながら、

自宅で問題なく過ごせることになり、

ルル君をフランスに残しているので、

これ以上日本に滞在することもできず、帰国。

 

あと、何回母親に会えるのかな・・・。

 

でも泣いてばかりもいられない。

自宅に着いた時に、「ママン!」と言いながら

抱きつくルル君を見ながら、

もちろん辛いこともあるけど、

私には守ものがあるんだから、

それを大事に前を向いて行こう、と

思ったのでした。