戦前の日本陸軍には、「統制派」と「皇道派」と呼ばれる派閥があり、海軍には「艦隊派」と「条約派」と呼ばれる派閥がありました。今回は陸軍内の派閥について述べます。



この内で皇道派は天皇親政のもとて国家改造を実行しようとするイデオロギーを持ち、尉官級の青年将校が中心でしたが、彼らの後ろには真崎甚三郎大将、荒木貞夫大将が控えていました。



彼ら青年将校は1936年2月26日の未明に「2・26事件」と呼ばれる軍事クーデターを起こしますが失敗に終わり、以後は陸軍内は「統制派」と呼ばれるグルーブが牛耳るようになります。この派は、合法的に国家権力を握り、近代戦は国家総動員で戦うようになり「高度国防国家」を築き、総力戦に備えるという、ナチスによるドイツの体制やソ連のスターりン体制を参考にし、中心には永田鉄山を理論的支柱とし、土居原賢司や東條英機がいました。



アメリカ、イギリスとの戦争は、この東條内閣により開戦したことはよく知られています。



しかし、アメリカの国力に勝る生産力を持たない日本は、中国との泥沼化した戦線とアメリカ軍とに挟まれ、1945年8月15日の一方的な戦闘停止に追い込まれます。



敗戦後の日本は事実上アメリカ軍により統治されましたが、東西の冷戦が始まり、さらに1950年6月25日からは朝鮮戦争が始まりました。ここで占領軍(つまりアメリカ軍)の最高指導者だったマッカーサーは、日本をアジアの反共産主義の砦とするべく警察予備隊の結成を許可し、やがて保安隊、1954年10月には自衛隊となります。


自衛隊は、警察予備隊の時代から旧陸軍の尉官級、佐官級の軍人を指導的隊員として採用しましたが、彼らは旧陸軍時代に「統制派」のイデオロギーを持った将軍たちに指導されていたのです。無意識のうちに「統制派」のイデオロギーだとも知らずに「統制派」の高度国防国家の考えに染まったとしても不思議ではありません。



自衛隊の中で生き残った統制派のイデオロギーは、時に頭を出します。1965年の「三矢計画」の表面化、1978年の栗須発言、そして記憶に新しい、「田母神発言」等は、旧日本陸軍の統制派のイデオロギーが連面と、現代の自衛隊の中で受け継がれたことを示していると考えられます。


そして現在は安倍ファシズム独裁政権により、安全保証関連法案が強行採決され、戦前より広範囲に渡って日本帝国主義が軍事力を背景に復活し、紛争地帯への派兵を狙っています。



日本国内の様々な矛盾を、海外派兵により打開しようとしているのです。また、すでに兵器の海外輸出が検討されています。兵器の輸出は戦前にもなかったことであり、史上初の出来事です。



戦前の「統制派」のイデオロギーに染まった自衛隊を、海外に派兵させてはなりません。



注:この記事は2012年8月18日付の記事に加筆修正したものです。