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司馬遷像



私が中学生時代から、ある種類の敬意を持って考えていたのが、古代中国、西漢時代の大歴史家の司馬遷(紀元前145ー同87年?)です。



ご承知の通り中国の正史である「二十四史」の最初に位置付けられる「史記」の著者です。この著は、古代ギリシャのヘロドトス(紀元前485ー同420年)の「歴史」と並ぶ東西の古代史研究の双璧とも言えます。



その内容は「本紀」、「世家」、「表」、「列伝」から成立しており、後世の正史の手本となりました。



特に「列伝」は、中国の思想界においては、次第に儒教が主導権を握りつつありましたが、いまだに完全には主導権を把握していない、ちょうど境目の時代でもありました。


ですから、儒教の影響を受けた後世の正史には見られない、また編纂することの考えられない内容の列伝もあります。



この「史記」は、司馬遷の父の司馬談が密かに著していたものを、司馬遷が中国各地を旅行して集めた話をまとめ上げて完成したものです。司馬遷は、私たちが想像する以上に、二十歳の頃から中国各地を旅行しており、第7代武帝に従って、行幸にも従っています。何と雲南省にも出掛けたことがあるようです。



しかし、親友李陵が北方遊牧民族に捕らえられたことを弁護したため、武帝の怒りに触れ、宮刑(注)に処せられ宦官とされます。



(注)宮刑とは、男性の生殖器を切除する刑罰



しかし、彼は父以来の歴史書の完成を目指して、恥辱に耐え、ついに「史記」を完成させます。



私はこの司馬遷の不屈の生き方に近づけたらと、密かに考えています。