(カバー画像は本文と関係ありません)
エッセイで検索して目に止まった本を聴いた。
なんというか…。
私はこれを評価し難い。
固執傾向のある人が難しい言葉で書いているだけと思った。
難しい言葉で書いているだけなんだけどなあ。
ある意味、いつまで高校生をやっているんですかという印象である。しかし作者は、背伸びしたいから難しい言葉を使っているのではないと思う。
平易な言葉で書いてみてほしい。
この人の知的能力であれば通常は平易な言葉で書けるはずだ。
平易な言葉であれば、中身のある無しがはっきりすると思う。
頑張って途中まで聴いたけど中身が無いので聴くのはやめた。
私は文章を聴いただけなので、哲学対話なるものについてはわかっていない。本人の論文を読んではいないので、滅多なことは言えない。
だから私の憶測が混じるが
永井さんの説く哲学対話は、感性寄りで、哲学することに対する事自体を促進させることが一義であるように思う。だから永井さんの文章は永井さん自身の感動に満ちている。発見することの感動があちらこちらにある。ユリーカというやつである。
しかしどうもネットで散見する哲学対話はそうではなく、思考のプロセスだの傾聴だのと、頭でっかちで、永井さんの語るような感動が見えてこない。昔よく見た心理学の手法にも見える。
手法ではなく、体験なんだなあ。
永井さんの本を聴いていると
あくまでも、哲学する心の体験が目的であるからそういう意味で参加者は共通のものを得ている。
だけどどうもネットで散見するものは特定の教育のための手法なんだなあ。いわばKJ法に例えられるような革新的な手法の一つみたいだ。
本を聴くかぎり永井さんの哲学対話が手法には思えない。
感性が人と異なる人が少しづつ周りの人の感じていることを知って気づきに感動していく記録に過ぎないからだ。過度に抽象的な語で表現されているのが私には気になる。(たぶん永井さんは特別な意図でそうしているわけではないと思う。)
一冊の本として読むに値無しと思っただけで、この人が嫌いなわけではない。
一般人の気楽なブログなら、面白い人だと思って喜んで見にいくだろう。
永井さんの他の文章も読んでみたいと思う
☘️☘️
追記
こちらの本も聴いた。
こちらの文章は平易な日常的な言葉で書かれていた。
この本は本人の朗読。
私が思い違いをしていた点が二点あったことがわかった。哲学対話は永井さんが考え出したものではないこと、ルールはかなり自由度が高いということだった。
さてこの本もまた、やっぱり途中で聴くのをやめた。
高校生の目線の文章を読んでいるようで面白いと思わなかったのだ。
確かに高校大学時代は哲学対話のような答のないディスカッションをする機会が私は多かった。しかし今は
「それは面白いけれど、知的な遊びにしかすぎない」と思う。
もうちょっと第三者的、客観的な書き方にしてほしかったな。参加者の感情についての記述は要らない。表情や行動からの推測でしかないしね。学者さんなんだから「それは客観的な正しさがあるか否か」の厳しさを自分に課して欲しかったな。
哲学はその人の生き方を問う事にも繋がるから
うっかりすればその人の触れてはいけない心の奥底にも触れる危険性がある。テーマによっては集団の心理のコントロールをできる人がファシリテーターになるべきだけど、その点もちょっと不安になる文章だった。文章から子供っぽさを感じたからだ。
以上、夜も遅いのでこの辺でおしまい☘️

