(ブログ表紙の画像はクラファンの画像からお借りしました)。


私は志のある人が好きだ。

志が折れる事なんて当たり前であっても、社会を知ったような顔をして志のカケラさえも持たない人は嫌いだ。


幻想水滸伝のプロデューサーをした故・村山吉隆さんには志があったと私は思った。だから百英雄伝の支援をしたかった。


彼が独立して作った会社(blue  moonの方)のHPの一文にこうある。

「企画者、デザイナー、プログラマー、サウンドデザイナーが会社の枠組みを外れ、ゲームごとに集まっては、その瞬間に最大の才能を発揮するような状況が生まれることがわたしの願いであり、望みであります。」


そういう思いは百英雄伝を作るときにも彼の胸の内にあったと思う。


でも実際は自分たちの能力を超えた物を作ろうとして百英雄伝は失敗した。(そして会社の枠組みから離れても人間関係の利害の枠組みからは離れる事は無理だった。


開発月報を見る限り村山さんはガッツリ関わっているはずなのにできた物を見れば言っていることの真意が出来上がったゲームに反映されていない。村山さんの心情を思うと切ない。


そもそも開発のメンバーは喜んでもらえるゲームという視点で集まったのだろうか。失敗しそうだけど自分のやりたい仕事をやった、という人はまだ救いがある。未熟なのに勉強目的で請け負った人や、経歴や実績が目的でリソースや予算を贅沢に使った人はいなかっただろうか。販売には有利だがゲームの質は落ちる(そしてクラファン支援者を裏切る)裏約束をしていた人はいなかっただろうか。

…こういう事はよくある話だが、真に反省すべき人たちが「世間とはこういうもんだよ。騙される奴が悪いんだ」とすっとぼけない事を祈る。そういう事を繰り返し言っている人たちの末路は哀れだから。


幻水会社の泣き面は見れたかな?希望はもう死んだよ。普通のファンの私は

もう幻水も村山さんの名前も出してほしくない。


考えすぎると悲しくなってくるので妄想は程々にしよう。

村山さん、安らかに💐