『サラリーマンどんと節 気楽な稼業と来たもんだ』
1962年日本映画 85分
監督:枝川弘
脚本:高橋二三
出演:クレージーキャッツ 川崎敬三 他
追悼谷啓。考えてみればばあさんもいいタイミングで死んだな。谷啓いるでしょ、小林桂樹いるでしょ、池部良もいるよ。三途の川の渡り口でその三人、サインもらっといてほしいよ。
青島幸男の歌詞が原作(?)の他愛ないドタバタ・コメディ。紛れもなくクレージー映画、のはずなのに、クレージーは最初ちょっと出て、後は影も形もない。そして最後にちょこっと。出る率としては1割くらいか?この粗製乱造ぶりにも時代を感じて、愛おしいっちゃ愛おしい。
社長や社員の怠慢が原因で万年赤字の三日月物産信濃支社。一人正義を貫こうとする真面目な中卒見習社員洋介(川崎敬三)はあの手この手の妨害を受けるが、最後は正義が勝つ、というお話。
「気楽な稼業ときたもんだ」というサラリーマン観、そして何かあると酒か女でうやむやにしようとする社長や社員の発想は唖然とするほど安直でコミカル。
だけど、よくよく見ると大変シビアな世界でもある。真面目で勤勉な洋介はいくら有能でも「中卒」だし、クレージーの面々はいくらスーダラでも「大卒」。とにかくそんな調子で、階級意識が物凄くハッキリしている。「商家」の娘は「ホワイトカラー」というだけで男に惚れる。支社長夫人は「東京」に戻りたいと言って泣き、ダメ社員への最も強烈なお仕置きは「八丈島」左遷。ちなみに、真面目な洋介が熱心に勉強してるのは「フランス語」である。
「東京/地方」「ホワイトカラー/ブルーカラー」「西洋/日本」といった対立構造は、この頃のサラリーマンもので厳然と見られるものである。コミカル要素として強調して描いてあるのは承知だが、コミカルだけどシビアなのか、シビアだからコミカルなのか、考え出すと結構いろんなことを考えてしまう。
高度経済成長を支えた日本の会社というものの本質には少なからずそういうところがあったのだろうと思う。そして、その落差が68年の永山則夫を産んだのだろう。その意味で、無邪気に笑って済ませることのできない何かを含んでいるというか、これもまた、どシリアスな60年代の日本映画群と同じ根っこから生えているものという気がする。
ともあれ、クレージーの弾ける魅力と言ったらない。もー何と言ったらいいのか、このポップでフォトジェニックな造形。植木等の色男っぷりもたまらない。そして「どんがらがっちゃ」「スーダラ」といった言葉の奇跡的な響き。何だかもう全てが嘘のように神々しく、その瞬間が皆、観たかったんだね。
大学の卒業式。
学長が挨拶を述べる。
学長(ハナ肇)「(訛って)ぼーいずびー、あんびりっしゃず。少年よ、大志を抱け。これは、このクラーク博士が残した有名な言葉である。望みは大きく持たねばダメだ。諸君は、大きくなったら何さなる?」
「はい」と手を挙げる学生植木(植木等)。
学長「植木君」
植木「サラリーマンです」
学長「何。サラリーマン?」
植木「そうです。いい例が、うちのお父さん。二日酔いでも寝ぼけていても、会社さえ行ってりゃちょっこらちょいとクビにはならないっすからね」
安田(安田伸)「そうです。第一、デートをしてもお酒を飲んでも三度に一度は会社のつけにできます」
石橋(石橋エータロー)「先生。それからですね、社長や部長に、なかなかなれそうもないけれど、定年までたっぷりありますからね」
犬塚(犬塚弘)「はい先生。それから、競馬競輪パチンコ麻雀、負けてやけ酒、飲んでも…」
谷(谷啓)「前借っていう手があります。サラリーマンは絶対です」
一同「絶対です!」
学長「うーむ、皆サラリーマンか」
一同「そうです!」
★★★☆☆☆☆☆☆☆