『戒厳令』
1972年フランス・イタリア映画 121分
監督:コスタ・ガヴラス
脚本:フランコ・ソリナス コスタ・ガヴラス
出演:イヴ・モンタン レナート・サルヴァトーリ 他
政情不安定な南米ウルグアイを舞台に、独裁政権と左翼勢力の駆け引きを描く政治ドラマ。凄い淡々としてるので、初めは何の話だか分からない。
政治システムの恐怖を描く映画としてすぐ思い浮かぶのは「影なき狙撃者」のようなアメリカ製の冷戦ものだけど、この映画の恐ろしさは、その手の映画で描かれる妄執や発狂といった当事者的感覚とは一線を画す。異様なまでの冷静さに端を発する恐ろしさ、これが描けたのは非アメリカ映画であるからこそ。
***
テロリスト集団トゥパマロスに誘拐されていたアメリカ人市民サントーレ(イヴ・モンタン)が殺害された状態で発見される。葬儀はテレビ中継され、政府は、「この国の貧困のために尽くした」サントーレを殺害したテロリストへの怒りを露わにする。しかしその葬儀には欠席者の姿も。
時制はサントーレが誘拐された一週間前の月曜日に戻る。いつも通りの平和な朝を迎えたサントーレだったが、突如トゥパマロスのメンバーに捕まる。と言っても、トゥパマロスは学生や若いカップルなど、ごく普通の人間ばかりで構成されている。彼らの平穏な日常に紛れるようにして、サントーレはアジトに連れて行かれる。
火曜日、水曜日と、淡々と経過していく。政府はトゥパマロスの暴挙と徹底的に戦うと宣言。その一方で、トゥパマロスの覆面メンバーはサントーレに日々尋問を繰り返していた。サントーレは、一体何の目的でこの国に来たのか?この国で、何をやっていたのか?
その尋問の中で、サントーレはアメリカから派遣された拷問のエキスパートであり、独裁政権打倒を目指すトゥパマロスら反政府勢力を一掃するため、政権に協力していた存在だということが徐々に明らかになってくる。
一旦は大統領退陣にまで追い込んだトゥパマロスだったが、包囲網は次第に狭まってくる。やむを得ずトゥパマロスのメンバーは、サントーレを殺害する。
***
印象的なのは、最後、サントーレを殺害するかどうかをリーダーがバスの中でメンバーたちに聞いていくシーン。メンバーが一人ひとり、入れ替わり立ち替わり、普通の市民のように(というか普通の市民なのだが)バスに乗り込んできてリーダーの隣に座り、その度にリーダーが「これは感情の問題じゃない。政治の問題だ」という前置きをして真意を尋ねる。
この前置き、よく考えると凄いことだなと思う。感情と切り離して政治を考えられる人って日本にどれだけいるだろう。少なくとも、私自身はその感覚、見当もつかない。感情以外のものに依る考え方そのものを、教わったことがないという気すらする。
だから、独裁や革命についても、言葉としてはもちろん知っていても、それがどういう状態なのか、実際には見当がつかない。この映画を見ていて、その実態を恐ろしく思うというのはもちろんあるのだけれど、自分自身の空白をもじわじわと自覚し、おののく。
コスタ・ガヴラス、この作品は「告白」「Z」に続く社会派三部作のトリ。熊井啓などとも似て少し苦手なのだけれど、ちゃんと観てみないとなぁ。
銃を構えるメンバーたちに囲まれ、尋問されるサントーレ。
「飢えてる者が手段を選べるか?」と聞かれ、
サントーレ「思うに、真の人間なら、必ず選ぶ。違うか?」
メンバー「違うね。”真の人間”ではなく、我々は”人間”を信じる。平等である権利や、より公正で幸福な社会を作る可能性をな」
サントーレ「それは私も信じる」
メンバー「嘘をつくな。不平等や特権を守り、私有財産を信じてる。少数派が多数派を搾取する」
サントーレ「”搾取”とは大げさな…。私に何の得があると言うんだ」
メンバー「自分も主人だという幻想を持てる。実際は使用人なのに」
★★★★★★☆☆☆☆