『江分利満氏の優雅な生活』
1963年日本映画 103分
監督:岡本喜八
脚本:井手俊郎
出演:小林桂樹 新珠三千代 他
サントリーの宣伝部に勤める江分利(小林桂樹)は、酒を飲んでは部下相手に管を巻く、平凡な「戦中派」サラリーマン。しかしある日、そんな江分利の愚痴に目を付けた雑誌編集者が小説を書いてくれと頼む。何だか分からないうちに引き受けてしまった江分利は、書きながらそれまでの人生を振り返る。
はぐらかすようなタイトル、そしてあらゆる手を尽くしたコミカルな演出とは裏腹に、どんどんどんどん内省的な方へ進んでいく。江分利は「プライバシーだろうと何だろうと、傑作を書く!」と言って、すごくデリケートで大事なところにずんずんずんずん分け入っていく。その内容は本当に悲惨だしどうしようもなくままならない。だけど同時に、たまらなく可笑しい。
本当に本当に分かってほしい、伝えたいというこの渇望は、原作者山口瞳のものというよりも、監督岡本喜八の思いを反映させたもので、単純な喜劇映画を望んだ東宝上層部はこの内容にかなりの難色を示したという。でも私は好きだ。面白いとか凄いとかいう以前に、私はただ、この映画が好きだ。
昭和の始まりと時を同じくしてこの世に生を受けた江分利は、青春を戦争に翻弄される。奔放な明治生まれの父の浮沈に翻弄される。そして書き進めていくうちに、いつしか江分利の中で戦争と父はイコールで結ばれる存在となる。始めは「何もかも面白くない」とボヤくだけだったのが、いつしか「俺は許さない」と怒りを露わにするまでになる。
突飛な連想かもしれないが、頭に浮かぶのはEelsのことである。アメリカのバンド、というかやってるのは一人のようだが、好きでよく聴く。積極的に追いかけてるわけでもなく、曲以外の情報は知らないし、このバンドについて誰かと話した記憶もないが、もうかれこれ十年以上ずっとそばにいる感じがする。同時代のバンドの聴き方としては(私の中では)かなり珍しい方である。
この映画とこのバンド、もちろん、時代も文脈も形式も全然違う。でも、そういう条件をすべて取り払って残る態度みたいなものが似ている(そう言えば、テネシー・ウィリアムズにも同じようなことを感じる)。「注目されたい」「褒められたい」といった動機とは全く違ったところに端を発する悲壮。極私的な過去の感情に向き合い、孤独を極限まで突き詰めていくような作業を通じて、そこに何らかの救いを求めるような態度。
何と言えばいいんだろうかこれは。もう一人の自分を見るような気がする、と言えばいいのだろうか。置かれている状況はそれぞれ全然違うのだけれど、その烈しすぎる感情に心当たりがある。向き合い方は身に覚えがある。「ああ、そんなところまで行ったんだ」と、涙が出るような思いがする。そしてその一方で、へヴィに渦巻く内面とは裏腹に、形として表出するものが過剰なまでにセンス良く、洗練されていることに、たまらない共感と尊敬の念を覚える。
励まされるような思いがする。「何を書けば面白いと思ってもらえるだろうか」とかいう悩みは、実はどうでもいいことなのである。私が書かなければならないことは、私の中に既にある。私がやらなければならないのは、それから逃げないことと、センスを磨き技術を身につけること、それだけなのだ。そういう当たり前のことを、素直に感じさせてくれる。
ところで、この映画は元々川島雄三が監督するはずだったそうである(川島急逝のため岡本が引き継いだ)。川島版、めちゃめちゃ気になる。1918年生まれの川島の切り口は、24年生まれの岡本のそれとはたぶん全然違ったはずで、死ぬほど面白かっただろうけど、ここに書いたような感想は抱かなかっただろうと思う。
いい言葉がずらずら。「薄いカルピスの寂しさは山手線の大塚から田端あたりの寂しさと同じ」とか信じられんくらい最高。
母が失意の中で亡くなり、
父が自分の恩師からまで借金していることを知って
絶望的な気持ちになる江分利。
そんな中停電し、二階に下宿している特派員の
ピート(ジェリー伊藤)の元へろうそくを持って行ってやる。
話をし、勧められた酒を飲む江分利。
江分利「……」
江分利M「江分利は、これからの人生で何ができるだろうか。山之内教授の借金だけでも、返済することはできるだろうか。夏子に笑いを回復させることはできるだろうか。庄助を一人前に育てられるだろうか。その他もろもろの願いをどこまで果たせるだろうか」
涙をこらえながら酒を飲む江分利。
江分利M「夏子にも、庄助にも言えないことを、この外人に言ってみようか…」
ためらいながらも口を開く江分利。
江分利「俺はまだ、30を過ぎたばかりだ。アイム、スティル、インマイ、アーリィ、サーティス。だからまだ、だからまだ、何かができる」
ピート「イエス」
ピートの目を見て、頷くピート。
ピート「イエス!」
江分利「……」
江分利M「こいつ、分かるのかな…」
泣きそうな目を瞬かせる江分利。
江分利M「いけない」
★★★★★★★★★☆