『乱れる』
1964年日本映画 98分
監督:成瀬巳喜男
脚本:松山善三
出演:高峰秀子 加山雄三 他
成瀬後年の傑作。わずか半年の結婚生活の後に夫を戦争で亡くし、以降は夫の実家である小さな商店を支えてきた礼子(高峰秀子)と、彼女を慕う義弟幸司(加山雄三)の恋愛ドラマ。小さな商店の存在を脅かす大型店舗の進出といった社会問題も絡めて描かれる。
これから観るつもりの方は一切の先入観無しに観た方が絶対に良いので、この先は読まない方がよい。その前置きを踏まえて結論から言わせて頂くと、これ、めちゃくちゃ衝撃的な終わり方である。全ての要素が終わりの瞬間に向かって進んでいく。逆に言えば、それが来るまで何の話かよく分からない。どこに着地するか分からないのである。
それを最も端的に体現しているのが、加山雄三演じる幸司のキャラクターである。礼子が19で嫁に来た時はまだ7歳、今もまだ25歳の青年の彼。この人がどうも最初から不安定なのである。爽やかだけどちょい悪な若大将。面白いけれど一面的で、あまり重要な存在には思えないのである。
でも彼は、あの無邪気な笑顔と若々しいふくれっ面の裏で、生身の感情を募らせていく。それは、時代背景も年齢も全く異なるが、「無法松の一生」で三船が涙ながらに吐露した”欲情”と全く同質のものである(このあまりに烈しい感情を、セックスの不在という理由だけで「プラトニック」と結論付けてしまうのは、あまりにも味気ない)。
この映画の悲劇的な幕切れを目の当たりにし、私は心から「ああこれは彼でなければならなかった」と思ってしまう。これは彼でなければならなかった、イメージの付き過ぎた彼の身体でなければならなかった。私はこの映画で初めて、加山雄三という人の存在意義を知ってしまった。
そしてこの映画でも「無法松」でも、死に至るほどの烈しい感情を向けられる女の役を共に高峰秀子が演じているのは、決して偶然ではないだろう。彼女は決してセクシーではないし、勝気で頭もよく、おそらく非常に扱いにくい人である。でも内に底知れぬ烈しさを秘めてもいて、それが、ある種の男をたまらなく焚き付けてしまうのではないかという気がする。成瀬がしつこく彼女を起用し続けるのも、おそらくはその情念の正体をとらえたいからなのであろう。ちなみに脚本の松山善三は高峰の夫。
結婚もせず適当な女と遊んでばかりいる幸司を
卑怯だと責める礼子に、
幸司「姉さん。じゃあ言おうか、俺がなんであんな女と遊んでるか。なぜ会社を辞めたか」
礼子「あなたは世の中に甘えてんのよ…。生活というものがどんなに大変なものか、あなた知らないのよ。もし知ってたら、転勤ぐらいで会社辞めてくるもんですか」
幸司、礼子に近付き、
幸司「姉さん。俺はここにいたかったんだ。姉さんのそばにね」
礼子「!…」
幸司に思わず背を向ける礼子。
幸司「卑怯者だと言われたくないから俺は言うよ。俺は姉さんが好きだったんだ」
礼子「!…何を言うの?幸司さん…。馬鹿なこと言うもんじゃないわ…」
★★★★★★★★★☆