『人間蒸発』

1967年日本映画 130分

監督:今村昌平

出演:露口茂 早川佳江 他


学生の頃、福岡から東京行きの高速バスの中で、森達也の「職業欄はエスパー」を読んだことがある。もともと乗り物の中で本を読むのは好きじゃない。眠気を誘うためのつもりでページをめくり始めたのだが、本の中に出てくる清田君(スプーン曲げで有名)の言ってることがホントなのかウソなのか、ウソだけどホントなのか、ホントだけどウソなのか、ああもういっそのこと「彼は大ウソつきです!」って誰かはっきり言ってくれたらどれだけ楽だろう、どれだけ彼も救われるだろう、と悶々としているうちに私は日本を半分移動していた。


この映画はドキュメンタリーということになっているけど、いわゆるTVドキュメンタリーのように「客観的な立場から真実を映し出す作品」というつもりで見ると、かなり気持ち悪く感じるはず。しかし森達也もその著書の中で再三言ってるように、客観的なドキュメンタリーなどあり得ない。むしろ、脚本のあるフィクションなんかよりずっと直接的に、ドキュメンタリーは作り手の主観が反映される。その意味で、作為ありありのこの作品は極めてまっとうなドキュメンタリーだと私は思うし、「出てくる証言者が実は役者だった」みたいな噂の類も、この作品の本質にはほとんど影響のないことだと思う。


突如失踪した大島という男の行方を、婚約者である佳江が進行役の俳優露口と共に追う。大島の職場の人間や家族、そして元の交際相手などとの対面を経て、佳江は、大島の失踪の原因が実姉サヨにあったのではないか、という考え(というか妄想というか)に至る。が、真実は最後まで明らかにならない。私たちの眼前に曝されるのは、大島がどうしようもなくだらしのない男だったということ、農村の閉塞性や前近代性、都市型社会へと移行していく中でのひずみ、女という性を売り物にしながら生きてきたサヨのしたたかさ、カメラに見つめられることによってだんだんと肥大していく佳江の自意識といった、「あぁ、知りたくねえ…」というようなことばかり。実際、最後の方になると大島が今どこで何してるかなんてどうでもよくなってくる。


脚本を書くという作業は、テーマをごろごろと転がしてって、途中一休みしたり崖から落ちたりしながらもゴールまで何とか送り届けることのようだと思う。フィクションだからこそ転がせるし、終わりも見える。だけどこの作品のアプローチは全く違って、テーマは真ん中にドーンと不動のままある。作り手はその周りをぐるぐる回りながら、いろんな角度から覗いたり叩いたりしてるという感じ。だから終わりはない。この映画のエンディングに象徴されているが、「これ、ありますね」というその事実をただ確認し、「これからもずっとこれ、ここにあると思います」と言うしかない。


私は脚本書きを仕事にしているが、本来の関心のあり方はそっちに近い。だからこの作品の方法論には魅力を感じるし、いずれは突き詰めなければならないとも思うのだけど、同時に表現し難い青臭さ、しゃらくささも覚えてしまう。今村昌平らが制作会議をしているシーンや、言い争う佳江とサヨの部屋がセットとして壊されていくシーンなんか特にそう。そういえば「裸の19才」を見たときもそう思ったっけな。これは何なのか、私個人の問題なのか、それとも対象となる現実自体が変質してしまったということなのか。


   サヨと大島が二人でいるのを見たという魚屋の男を交え、

   言い争いをしている佳江、露口ら。

   傍らに今村監督もいる。

佳江「でも監督。真実って何でしょう」

今村「それは…俺にもよく分からない。だから真実ってのは何かっていうことを、考えて探したいと思ってますね、僕も…。分からないです。実際これはサヨさんがウソついてるのか、魚屋さんがホントのことを言ってるのか…分かんないですね。これは分からないんじゃないか」

サヨ「(遮って)それは私だけにしか分かんないでしょうねえ」

今村「もしかしたら、あなたにだって分かんないかもしれないんだよ」

露口「世にも不思議な物語ってことになれば…」

  と、今村、外に向かって、

今村「(大声で)セット飛ばせ!」

  解体の音が聞こえ始める。

今村「あなた方の言ってることは、真実には真実っていう実感が伴うはずだってことだと思うんだよ。僕にも、真実ってものが何が何だか分かんないけども、これもひとつの真実だとは思ってる」

  壁が取り外される。

  カメラ、だんだん引いていき、取り壊されていくセットの様子が

  明らかになってくる。

今村「たとえば、ここにこういうセットがある。天井や、屋根こそないけれども、何となくちゃんとした部屋のような気持ちで今まで話してきてましたよね。あなた方にも、たぶん部屋としての実感があったでしょう。ところが、これは撮影所ってものの中の、ステージの中の、セットでしかない。実感なんてものはあんまり信用できないですよね。これはフィクションなんです。大島君の蒸発という事実から、このような追求のドラマが展開されてきたわけだけども、これも、自然に展開してきたわけじゃない。展開しようとして展開してきたわけなんだから…」

  今村、外に向かって、

今村「(大声で)常夜灯!」

  スタジオが明るくなり、雑然とした中の様子が明らかになる。

今村「つまりこういうことにすぎないんだ。キャメラはあなた方を映そうとしているし、あなた方は映されようとしている。明日はここで、また別の映画が…いわゆる嘘芝居をやるわけです。しかし、それがウソで、こっちがホントだってことには、必ずしもならないでしょう。こっちだって、フィクションだというわけです」


★★★★★★★☆☆☆