『サンダカン八番娼館 望郷』

1974年日本映画 121分

監督:熊井啓

脚本:広沢栄 熊井啓

出演:栗原小巻 田中絹代 他


前々からすごい気になってたけど、なかなか見る覚悟がつかなかった映画。絶対見た後ずーんとなるし…と思って。しかし、予想通りの重い映画ではあったものの、見終わった後は一仕事終えたような充実感を覚える。こういう感覚、けっこう久しぶり。


明治時代、「からゆきさん」として東南アジアに売られた女性の一生を回想形式で描く。原作は読んでいないが、恐らくそのまんま忠実に脚本に起こしていったんだろうと思わせるクソ真面目な構成。主人公(というより狂言回し的な存在)の圭子(栗原小巻)は研究者で、現在から、元「からゆきさん」である老婆サキ(田中絹代)と出会った3年前、そしてサキがサンダカンで売春婦として働いていた時代という二つの過去に物語は行き来する。非常に強引な構成だとは思うのだけど、そういう技術的なとこより内容の重さを優先させる辺りが熊井啓の味なのかもしれない。


そしてそういうのって論文を書く作業にすごくよく似てる。大体、圭子がやってることってそのまんまフィールドワークだし、動機の青臭さもそんな感じ。前に熊井啓の作品を見た時は「違う学部のゼミっぽいなぁ」と思ったけど、要するにすごく大学っぽい物を作る人なのかも。あと、森達也の著作っぽいなとも思いました。


「搾取されるだけ搾取される女の性」というテーマは普遍的なもので、その種の傑作には「欲望という名の電車」やなんかがある。日本ので言うと溝口の「祇園囃子」とかそう。で、そういう作品の中で描かれる女性は大抵、自己防衛のため培って来ざるを得なかった狂気を湛えている。


この映画のおサキさんももちろん、ひりつくような痛みを抱えた女性だ。でも、上記のような作品に出てくる女性たちとは何だか少し違う。語弊がある言い方かもしれないが、彼女、狂ってはいないのである。まっとう。ちゃんと会話ができる。その辺りの冷静さは、やはり作り手の研究者的視線の反映なのではないかなと思ったりする。で、そういう要素って映画的なダイナミズムには逆行しちゃうものだが、それでもこのおサキさんという女性が迫ってくるのは、ひとえに田中絹代の演技のおかげ。彼女がこのおサキさんにリアルな血肉を与えていて本当に凄い。


ところでこれは熊本・天草の話なのだが、おサキさんとその兄が売られることになったとき、兄は炭鉱へ、そしておサキさんは「三池炭鉱の船で密航して」サンダカンへ、という風になる。どっちにも炭鉱という産業が絡んでいるのが個人的には気になる。


私の故郷は旧炭鉱町で、私が生まれた頃には炭鉱なんてとっくに閉山してたけど、「ここの下で何百人が死にました」みたいなことは普通に話として聞いてた。昔は「へー」としか思ってなかったけど、こういう映画見ると、その尋常でなさがすごい気になってくる。あの町で何があったのか、一度何かの形で整理しとくべきかもしれない。


   圭子を襲おうとした男が、サキを罵る言葉を吐いて去った後。

サキ「…男というもんは、悪かもんぞ」

圭子「えっ…?」

   吹き荒れる嵐の音。

サキ「どぎゃんよか男でも、本気で惚れるもんじゃなか。本気で惚れると、身ば誤るけんな」

圭子「……」

サキ「男ちゅうもんは、皆おんなじばい。わしゃ骨身に沁みるごつ分かっとる…」

圭子「……」


★★★★★★★☆☆☆