『宗方姉妹』

1950年日本映画 112分

監督:小津安二郎

脚本:小津安二郎 野田高梧

出演:高峰秀子 田中絹代 他


久々の小津作品。


かつての恋人・宏(上原謙)への思いを断ち切れないまま結婚した姉・節子(田中絹代)と、そんな姉夫婦をやきもきしながら見守る奔放な妹・満里子(高峰秀子)の話。節子の夫・三村(山村聡)は失業中だが、節子に威圧的に当たる。それを見て満里子は「三村なんかと別れて宏さんとくっつけばいいのに」と思うが、節子はそう簡単に割り切れない。


「アバン(姉)vsアプレ(妹)」というテーマが割とストレートに表れており、そういう意味ではあまり小津っぽくない。原作があるからなのか、新東宝に移籍後初の作品だからか、核となる舞台が関西だからか、原節子が出てないからか。


しかしキッチュでシュールな小津節はもちろん健在。まー高峰秀子の可愛いことよ。他の作品ではあんまり思ったことがないのに。そして、改めて芸達者だなぁと。小説みたいな口調で「~である!」って言うところとか、要所要所で舌出すところとか、なかなかできないよこんなに魅力的には。ちなみに、父役の笠智衆が高峰秀子に「今、舌出すよ。出ないかな。出さないこともあるのかな」とあの口調で言うところなんか、そこだけ切り取って何かのCMにでも使ったらどうでしょう、と思うくらいの完成度の高さ。たまらん。


そして、ところどころに光る言葉選びのセンスの良さ。山村聡の「女房は衆愚の代表だ」という言葉だったり、寺見ててふと高峰秀子が言う「あ、鶯うんこした」という台詞だったり、山を見ながら田中絹代がふと漏らす「京都の山はお汁粉の色みたい」という喩えだったり。狙ってやりすぎるとこういうの鼻につくけど厭味なく入ってきて、ああこういうのが「腕」なんだろうなぁと思う。


前も書いたかもしれないが、小津映画というのはかなり独特で、(こう言っちゃ何だけど)お手本にはならない。魅力的すぎて真似したくなるけど、そして、簡単に真似できそうに思えるけど、むっっっっっちゃくちゃハードルが高い。こういう魅力こそが作り手の「世界観」というもの。そして、それは昨日の映画とは似て非なるもの。何がどう違うのかの説明は難しいが、ただ言えるのは小津はこういうの、思いつきでやってるわけじゃないってこと。狙ってやってみましたってんじゃなくて、蹴っても叩いてもこの人、こういうものしか出てこないんだと思う。小津自身、何かで「自分は豆腐屋だから豆腐しか作れない」みたいなこと言ってた気もするし、この作品も他のと毛色が違うとはいえ、その差は豆腐と揚出豆腐の違いのようなものだ。


で、「豆腐しか作れない豆腐屋」になるには、矛盾してるかもしれないけど豆腐作ってるだけじゃダメで、本当に自分は豆腐しか作れない人間なのか、他もいろいろ、出汁巻きとかハンバーグとかいろいろ作ってみた上で判断しないといけないんだろうなぁと最近思う。


   節子と言い争った後、部屋で一人煙草をくわえる満里子。

   そこへ節子がやってくる。

節子「満里ちゃん。あたしそんなに古い?」

満里子「(見て)…」

   節子、満里子の傍らに座る。

節子「ねえ、あんたの新しいってこと、どういうこと?どういうことなの?」

満里子「(キッと見て)お姉さん、自分では古くないと思ってらっしゃるの?」

節子「だからあんたに聞いてんのよ」

満里子「お姉さん京都行ったって、お庭見て歩いたり、お寺回ったり…」

節子「それが古いことなの?それがそんなにいけないこと?」

満里子「……」

節子「あたしは古くならないことが新しいことだと思うのよ。ほんとに新しいことは、いつまでたっても古くならないことだと思ってんのよ。そうじゃない?」

   節子、微笑んで、

節子「あんたの新しいってことは、去年流行った長いスカートが今年は短くなるってことじゃない。皆が爪を赤くすれば、自分も赤く染めなきゃ気が済まないってことじゃないの?」

満里子「……」

節子「明日古くなるものだって、今日だけ新しく見えさえすりゃ、あんたそれが好き?」

満里子「……」

節子「前島さん見てごらんなさい。戦争中先に立って特攻隊に飛び込んだ人が、今じゃそんなことケロッと忘れてダンスや競輪夢中になってるじゃないの。あれがあんたの言う新しいことなの?」

満里子「だって世の中がそうなんだもの」

節子「それがいいことだと思ってんの?」

満里子「だってしょうがないわよ。いいことか悪いことか、そうしなきゃ遅れちゃうんだもの。満里子みんなに遅れたくないのよ」

節子「いいじゃないの。遅れたって」

満里子「いやなの。そこがお姉さんとあたしとは違うのよ。育った世の中が違うんだもの。あたしはこういう風に育てられてきたの。悪いとは思ってないの!」

節子「……」


★★★★★★★☆☆☆