『あにいもうと』

1953年日本映画 86分

監督:成瀬巳喜男

脚本:水木洋子

出演:京マチ子 森雅之 他


不思議な色気を湛えた映画。こういう作品が何の気なしに存在してる(作り手はそんなつもりなかっただろうけど)ってところに、50年代の日本映画の底力をつくづく痛感する。本当に豊かだし、何と言うか…大人だ。そして、ここまでの域に達していたはずの成熟は今一体どこへ消え失せてしまったんだろうと考えずにいられない。


舞台は、川を挟んで向こう岸が東京という小さな村に暮らす赤座家。奉公先で学生の子を身ごもってしまった娘もん(京マチ子)が家へ戻ってきたことで起こる家族の騒動を描く…とは書いたものの、騒動というほどの何があるわけでもなく、「ふしだらな娘が帰ってきた」という周囲からの軽蔑の視線にさらされる家族の心の機微を丁寧に丁寧に押さえていく。切ないけどどうしようもない。奇跡は何も起こらない。でも、そのミクロレベルの丁寧さのため、全体の印象は悲観的なだけに留まらない。ああこれは本当に職人芸。米粒に絵を描くような感じの。


役者がまたみんな素晴らしいんだ。京マチ子のビッチぶり、妹さん役久我美子の健気さ、母役浦辺粂子のおっとり感、父役山本礼三郎の時代と逆行するかのような眼差し。それに小畑役の船越英二のヘタレっぷり、さんの恋人鯛一役の堀雄二のダメ男ぶりも生々しくっていい。こんな風に書いてくときりがないが、そんな中でも最高なのが兄伊之吉役の森雅之だ。前からうすうす思ってたが、この人無茶苦茶カッコいい。今日確信に変わった。汚れたTシャツ姿で石を掘る姿なんかマーロン・ブランド並のセクシーさ。凄いよなぁ、こんな人がいたんだからなぁ。


周りの目を気にする家族に「川を渡れば東京じゃないの、東京に行けば誰も気にしないわよ」とさんが言うシーンがあるが、そういう距離感が新鮮。そういうの、今そこに住んでる人たちの感覚とは、きっと全然違うはず。私のように遠くの田舎から出てきた人間の東京観って昔からそんなに変わってない気がするけど、東京近郊という概念はこの50年間で大きく様変わりしたのだろう。


細かい台詞の一つ一つが印象的。父の昔の仲間が「俺たちの頃は、目玉の奥まで日焼けして働いたもんさ」というところとか、バスの中で学生を見たさんが「あの人、バスの中でお饅頭パクパク食べてたわ」と報告するところとか、それが何だと言われると説明は難しいのだけど、ホント、隅々まで気が利いた脚本だなぁと思う。


終盤、もんと伊之吉の取っ組み合いの喧嘩シーンが圧巻。ここだけでも見る価値はある。


   謝罪に来た小畑。

   帰り道、伊之吉に、人気のない場所へと連れて行かれる。

   伊之吉、じりじりと小畑に詰め寄って、

伊之吉「おめえさん、妹をおもちゃにしといて、俺たち一家をさんざんな目に遭わせたが…、それでよくうちへ来られたもんだな」

小畑「……」

伊之吉「もんはねぇ…俺が子供ん時、抱いて一緒に寝たり、毎晩夜中に小便に起こして…土間が暗いから、ついて行ってやったもんだ」

小畑「……」

   伊之吉、思いを吐き出すように、

伊之吉「もんっちはまるっきり赤ん坊の時分から、いつも俺がおんぶしてよ。しまいにはもんの子守りをしないと、遊びに出る気がしなかったんだ…」

小畑「……」

   しゃがむ伊之吉。

伊之吉「もんの十七くらいの時まで、俺ぁもんの顔を見ない日は一日だってなかったんだよ。もんと飯食わねえ日は一日もなかったんだ」

   伊之吉、立ち上がって小畑を見据え、

伊之吉「もんと俺はまるで、兄妹よりかもっと仲が良かったんだ!」

   伊之吉、小畑に詰め寄り、

伊之吉「てめえの子を腹ん中へ持ってけえってきやがった時には、俺はもんを苛めて終いには犬畜生みたいに汚がってやったんだ!」

小畑「……」

伊之吉「みんな俺を憎んで、もんに付くようになったよ。俺はそれでいいと思ってたんだ」

小畑「……」

伊之吉「でなかったら、もんはみんなから邪魔ものにされて、生きてゆけねえだろうと思ったんだ!」

小畑「……」

伊之吉「てめえは…いつかきっと訪ねてくると俺ぁ見抜いてたからな」

   伊之吉、小畑の襟首を掴む。

伊之吉「そん時には…てめえに、俺ともんっちがそんなにも仲のいい兄妹だってことを知らせてやりたかったんだ!」

   伊之吉、小畑を突き飛ばす!


★★★★★★★★☆☆