『キューポラのある街』
1962年 日本映画 99分
監督:浦山桐郎
脚本:今村昌平 浦山桐郎
出演:吉永小百合 東野英治郎 他
埼玉の川口市を舞台にした、たぶん、親世代(より、ちょっと上か)の話。妙に知ってる感じがするのが不思議。自分が経験したわけでもないのに、いろいろ聞いたことがある。私の田舎は旧炭鉱町なので、やっぱ雰囲気的に似てるところがあるんだろうか。
吉永小百合の可憐さは文句の付けようがないが、生理になったり、レイプされかけたり、けっこう際どいことまでやっていた点に驚く。
看過できないのが「生理になる」という描写。今の子にとっちゃ生理なんて自我が発達する前に来るものなので、文字通り生理現象でしかないはず。だが、ジュン(吉永小百合)の「生理」に対する戦慄は、おそらく、今の子にとっての「処女喪失」に相当するほどの強さを持っている。
…と書いたものの、それすらも怪しい。この映画の話からは脱線するが、今の子たちにとって「処女喪失」すら生理現象の一つになりつつあるのだとしたら、ジュンの覚えた戦慄は今、一体どこに消化されていっているのか。
この身体性の変質というのは実は、今何かを考える上でものすごく重大な問題、つうかそれ自体が本質だと私は思う。別にボーっと見過ごしてても、逆に過激に意識しても、何か書こうと思えば書けるだろうが、デリケートな表現をする上ではその辺を的確に把握してないとどうしようもない。が、客観的に意識している作り手はあんまりいない気がする。
ま、そういうことはいつか論文に上梓することにでもして、ジュンの父・辰五郎(東野英治郎)と弟・タカユキ(市川好郎)の関係が大変良かった件について。辰五郎は酔っ払うといつもタカユキを「お前は感化院行きだ!感化院!」と罵るのだが、なんかこういうの、懐かしくてニヤけてしまう。決して憎み合ってるというわけでもないのだが、「お互いを大事に思っているがゆえ」とかいう甘いロジックなんか瞬殺。いいなぁ、分かるなぁ。ホント、日本で「家族愛」なんて概念が本気で喧伝されだしたのって、長い歴史の中でほんのここ何十年程度のことでしかないんだよなぁとしみじみ思う。
しかしタカユキが良い。トレパンに喜ぶタカユキ。鳩を飼っているタカユキ。在日の友達・サンキチ(森坂秀樹)に自分のことを「親方」と呼ばせているタカユキ。演じた市川好郎さんは今どうなっているのだろう。
所得倍増!自己中心主義!みたいな言葉に時代が(そして思想が)香るが、ちょっとウルッと来たのも事実。映画で泣くってあんまりないんだけどな、不思議。
就職試験に向かうジュンに、母トミ(杉山徳子)、
トミ「でもさぁ、お前頭いいんだし、やっぱり県立第一行って勉強したらさ、お前も幸せだろうし…」
ジュン「いいのよ、それは。スーパーマンも励ましてくれたもん。『一人が五歩前進するよりも、十人が一歩ずつ前進するほうがいい』って。分かる?」
トミ「何だいそれ…」
ジュン「後で教えてあげるね。とにかくさ、あたいはダボハゼじゃないから。安心してよ、母ちゃん」
ジュン、晴れやかな顔で、
ジュン「じゃあ、行ってきます!」
★★★★★★★☆☆☆