『昭和残侠伝』
1965年日本映画 91分
監督:佐伯清
脚本:村尾明 山本英明 松本功
出演:高倉健 三田佳子 池部良 他
出ました健さん!
この年になって、理想の男性像の究極形は健さんなのではないかと考える。寡黙で不器用、一本義。そういうと何となくかっこいい気はするけど、そんなの昨今のご時世じゃモテるわけがない。言い訳にすらなりませんよ、と思いながら見ていると、だんだん滑稽に感じてくる。そこが良い。
他の健さん映画でもそうだけど、健さん、覚悟を決めてからの動きが唖然とするほど速い。死を覚悟した討ち入り前、好きだった女・綾(三田佳子)に別れを告げるシーンなんかそう。「お達者で」と言い終わる前に背中を向けている。なんかもう、思わずにやけてしまうほどの置いてきぼり感。これ実際目の前でそんな態度取られたら、かなり呆れると思う。
健さんたちが戦う理由というのは、闇市の売人たちのために「バリッとしたマーケット」を建ててやるためなのだが、そこも何か、分かるような分かんないような。大体、やくざ組織を正義として描くところにどうしても無理が生じてくるし、結局のところ健さんの美学(そして滑稽さ)って、そういう脆いアンビバレンスが身上なんだよな。
だからこそ、この映画もまた学生運動のアンセム的役割を果たした、という情報を聞くと、やっぱ当時の学生って大したこと考えてなかったんだろな、と思ってしまう。学生たちは、自分たちがマーケットを建ててるつもりだったんだろうけど、それを「ありがとうごぜえますだ」と涙ながらに喜ぶ出っ歯の売人なんかどこにも存在しなかったということだろう。
それと、身も蓋もないですが、全編通してすごいホモ臭。ガチホモっていうんですか、池部良が健さんの腕に残った銃弾を取ってやるシーンとか、その手の方にはたまらないんじゃなかろうか。三田佳子との男女の関係(まったく匂いがしない)なんかより、よっぽど生々しい。
敵対する新誠会に捕らわれた政(松形弘樹)を
単身取り戻しに来た清次(高倉健)。
庭場(闇市の持ち場)との引き換えに返してやると言われ、
清次「おめえさんたちもこの稼業の端くれなら、あっしたちがてめえの命より庭場大事にしてるってことぐれえ知ってるでしょ」
新誠会「なるほど…。じゃあ命のほうにしてもらおうか。庭場か命か、この場で決めてもらおうか」
清次「決めるまでのこともありませんぜ」
新誠会「こっちは本気なんだ!」
と、銃に手をかける。
清次、一歩前に進み出て、
清次「あっしも冗談は言えねえ性分ですよ。どこでも構わねえぶち込んでみろや」
じっと見据える清次。
その視線に怯み、思わず手元が狂う新誠会。
銃弾は清次の腕に当たる。
流れる血を、ちらっと見る清次、再び視線を新誠会に戻し、
清次「それだけかい…」
また一歩、前に進み出、
清次「(胸を叩き)どうせ狙うなら、ここ狙えよ」
★★★★★☆☆☆☆☆