まだまだ止まらないインドの回想。
インドは多様性にあふれる国でした。
インドは喧騒にあふれる国でした。
インドはエネルギッシュで動き続けている国でした。
実際に足を踏み入れた後のインドという国の感想です。
その、どれもが今まで経験したことのないもの。
多様性も喧騒もエネルギーも。
とくに、印象的だったのはインドの多様性。
多様性を認め合う国 という印象です。
多様性を認めてもらえれば、自分だけのやり方も認められる。
そうなれば絶対的幸せ感を感じやすいのではないでしょうか。
インドへ行く前は知識が少なかったため、インドは日本のような単一民族国家かと思っていました。
すみません。。。
ざっくり言えば、アメリカのような「人種のるつぼ」的なものとは違います。
どの人も、浅黒い肌で黒髪で、見た目は同じような人たちですが
宗教も多様で、身分(カースト的)も多様という印象でした。
同じ民族の中で、立ち入れない部分を持ちつつ共存している、というのかな?
日本の みんな同じく一並び というのとちょっと違う感じがしました。
日本における宗教二世の私としては、外国へ行くとその地の宗教観が気になってしまいます。
インドはどうかというと、
実に多様な宗教が存在し、融合したり淘汰されたりしてそれぞれが根付いています。
そして、そのどれも 信仰心の厚い信者を抱えている。
インドは仏教発祥の地なのに、今ではヒンズー教が8割。
仏教徒は1%にも満たない。
イスラム教、キリスト教、シーク教。。。
当然、宗教が引き起こす諸問題もあるようで。。
ただ、感じたのは、どの教徒も自分の信仰に厚い、ということ。
おそらく先祖代々 信じる神を引き継いでいるという感じ。
そして、それが本当に生活の一部となっているし、それも結構な時間を宗教活動に費やしているということ。
朝夕の祈り。
お供え。
参拝。
お祭り。
街を歩いていると、イスラムのアザーンが聞こえたり、ヒンズーの鐘の音が聞こえてくる。
駅で、空港の廊下で、決まった時間に祈りを捧げる人たち。
敬虔な信仰心。
それを、当たり前の光景としている国民。
隣の人と宗教が異なることも、めずらしいことではないのでしょう。
だから、その人の信じる宗教を他人がとやかく言わないのでしょう。
そんな国だから、自分の信じるものを何のためらいもなく主張できるのでしょう。
宗教的に禁止されているアルコールや菜食主義。
「私は肉を食べることはできません」と言葉にすることは決して不思議な光景ではないのです。
飛行機の中でもベジタリアン専用の食事を予約していた人たち。
スーパーで売られている食品にはベジタリアン用か否かの表記が付いている。
ヒンドゥーの人たちの額の印。
シーク教徒のターバン。
髪の毛を切らない人達。
男性は帯刀が許される宗教。
そんな、宗教的選択を誰もが違和感なく受け入れる社会。
一目でそれと分かる違いも、すべて飲み込むインド。
ちょっと新鮮でした。
というのも、子どもの頃「宗教的理由で血を食べられないから鯨肉は食べません。輸血はできません」とか
宗教的理由でできないことがたくさんあって、それを伝えると学校の先生や友人たちから白い目で見られたから。
日本では、みんな同じ が当たり前で普通のこと。
宗教が理由で、周囲と違うことをするなんて普通じゃない。
そんな視線を嫌というほど受けてきたから。
インドの多様性がちょっぴりうらやましく思われました。
多様性を認めることは、自分を他人と比較しない という事に繋がります。
自分の幸せは、他人と比較するものではなく、自分がそう思うもの。
自分の中で「私は幸せだ」と思うことが絶対的幸せ。
人と比べない。
自分の中に幸せを見つける。
それが一番なんですよね。
インド、奥が深過ぎる。。。
宗教二世のための相談会
4月はお休みします。
とはいってもお話ししたい方はメッセージくださいね。