幸せの4分類~インドの街から | 生きづらさを抱えたまま50代を過ごす元JW2世のつぶやきブログ

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生きづらいのは、自分に原因があるのか、脱会したとはいえ思春期にうけたJWの教えの後遺症か。。。
同じ思いで生きている人の助けになれば、私の経験も無駄ではないかもしれません。還暦近くになって離婚となりそうな話も。

インドの街で「幸せ」について考えた私。
 
 
世の中には4種類の人がいるそうです。
 
 
実際に幸せで 本人も幸せと思っている人
実際には幸せなのに 本人は幸せじゃないと思っている人
 
実際には幸せじゃないのに 本人は幸せだと思っている人
実際には幸せじゃないし 本人も幸せじゃないと思っている人
 
 
この4種類の人がいる と聞いたことがあります。
 
 
昨日書いた記事で
「相対的な幸せ」と「絶対的な幸せ」があると気づきました。
 
それを当てはめて考えると
実際に幸せ とか 実際には幸せじゃない という言い方は
「相対的な幸せ」なんですよね。
 
世間一般で言うところの基準で見た「幸せ」。
そんなものに振り回されるのはもうやめようと思う。
 
 
だから、この4種類の分類というのも
本人が幸せと思っているか、いないか。の2種類しかいない
という事なんだと思う。
 
絶対的な幸せ。
自分の感覚がすべて。
 
自分だけの幸せが、その基準があればいい。
 
 





若くて愚かだった私は、ただただ世間の言う幸せが欲しかった。
せっかく宗教や、不自由や、窮屈な教理や親から解放されたのだから
今まで抑圧されてきた自由を楽しめば、幸せになれると思っていた。
 
だけど、自由の楽しみ方が分からなかった。
 
だから、世の中に流されて
少しでも良い仕事、世間が羨む結婚や家庭や主婦業や子育てや一軒家が
私を幸せにしてくれると思っていた。
 
でも違った。
それは誰かのモノサシの幸せであって、私が計測した幸せの数値じゃなかった。
 
 
私は、もう人生の夕方になって気づいたけど
このブログを呼んでいる人には、まだ先の長い人生があるよね。
 
はやく気づいてほしい。
自分のオリジナルの「幸せ」に気づいてね。
 
大丈夫。
足元にちゃんとあるから。
 
それに気づかないなんてもったいないよ。