人を赦せない自分を赦すということ | 生きづらさを抱えたまま50代を過ごす元JW2世のつぶやきブログ

生きづらさを抱えたまま50代を過ごす元JW2世のつぶやきブログ

生きづらいのは、自分に原因があるのか、脱会したとはいえ思春期にうけたJWの教えの後遺症か。。。
同じ思いで生きている人の助けになれば、私の経験も無駄ではないかもしれません。還暦近くになって離婚となりそうな話も。


二世にとって、
与えられた不幸は大きすぎて
なかなかに

一世である親を

赦す気持ちにはなれないのです

 


母と会うと
赦せない気持ちでいっぱいになります

 

 

たぶん

一生赦せない気持ちは

消えないのかもしれません。

 

悲しいことだけれど

 

 

 

自分の心の声が

そういうのなら

赦せないというのなら

 

 

その気持ちに

寄り添ってあげようと思います。

 

 

 

 

「赦せない」のは「心の声」

 

「赦さなくちゃ」は「思考の声」

 

 

「人を赦すべき」と

今までの人生では思ってきたから。

 

 

 

でも

本当の自分の心が

そう思っていないのに

 

自分の心の声を無視して

「べき」

を選ぶなら

 

 

それは

自分にとって

苦しいだけ。。。

 

 

 

やれやれ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

だから

 

 


そんな時は
「赦せない自分を赦そう。」

そう思うことにしました。

 

 


赦せないって
本当につらい。。。

 

 


一世の母が

私の辛さとか

赦せないことを悩んでいるとか

そんなこと全く意に介さないことも
辛い。。。

 

 

 


赦すのには
勇気がいる。

 

 


本当に。。。

 

 

 

だから

その勇気が

自然と湧いてくるまで

 

「母のことを赦すべき」

とは思わないようにします。

 

 

 

そうじゃないと

自分が辛い。

 

 

 

人を赦します。

赦せない人もいる自分も赦します。

 

 

 

そんな

心境です。

 

 

 

 

 

それまでは

小さな自分を癒して過ごします。

 

 

「辛かったよね」

「淋しかったよね」

「悲しかったよね」

「甘えたかったよね」

 

 

 

泣けるように

もっと

わんわんえんえん

泣けるようになるまで。。。

 

 

 

 

 

泣けない私は

 

まだ

自分の気持ちに

フタをしているから