の投稿があがっていました。
途端にこみ上げるものがあって、、、
下記の文を書き添えてシェアしました。
『書いた』という事は、
なにか『そういったタイミング』なのかな?
と、いう事で…
その記録として、今日はブログに転記します。
以下Facebookシェアの文面より。
みんな其々できる事は違えど、
相手を思いやる気持ちは同じです。
藤原一生が、けん玉協会を設立した時…
私はまだ2歳でした。
中学に上がる頃までは…
なんとなく藤原一生の活動を遠くから、、、
見ていました。
藤原一生は…
『タロとジロ』にしても、
『けん玉』にしても、
いつも相手の事を真っ先に考える人でした。
けん玉に関しては…
いつも子供たちの笑顔を願っていました。
去年の夏、けん玉の大会で、
藤原一生が亡くなって22年が過ぎた今も、
けん玉愛好家の皆様が、
藤原一生の意思を受け継いでくださっている
ことを知り感動しました。
本当にありがたく思っています。
時代が変わり、人々の生活感も変わり、
世界へ広がったけん玉が、
逆輸入的に日本に入ってきてブームが再燃し…
新しい人たちが新たなスタイルで、
それぞれの『けん玉』を楽しんでくれています。
いつの時代も、
これからどの様な世の中になって行くにしても、
「けん玉」は…
お金や立場等「俗欲」のためではなく
「子供たちや、愛好家の方達の笑顔」
のためのものであって欲しいと思います。
それこそが藤原一生が一番求めていたこと
だと思うので。
2016.5.12
3世 藤原敏光
藤原一生が残した言葉
『明るく 楽しく 元気よく』
『あせらず あわてず あきらめず』
『ゆっくり』
…