先日、この駅↓を訪れました。

京葉線の八丁堀で、日比谷線に乗り換え、

上野で銀座線に、

浅草でスカイツリー線に、と

3回乗り換え。

 

玉ノ井にあった私娼街は、


永井荷風の「墨東奇談」の舞台です。

(「墨」は正しくは「さんずいに墨」だが、造字のためパソコンにない。)
                       
目的地は、ここ↓、向島百花園(むこうじまひゃっかえん)。

入園料
一般  150円
65歳以上 70円

江戸時代は武蔵国葛飾郡寺島村。
「多賀屋敷」といい、幕臣多賀氏の所領でした。

天明(1781年 - 1789 年)年間に
仙台から江戸に来て骨董店を営んでいた佐原鞠塢(さはらきくう)が、
多賀屋敷跡にあたる一町歩(三千坪)の土地を入手し、造園を行いました。

開園にあたっては、
交遊のあった江戸の文人墨客や町民から
260余種の梅の木が寄贈され、植えられたことから、
当初は、当時亀戸にあった「梅屋敷」に倣って
「新梅屋敷」「花屋敷」などと呼ばれていました。



その後、園主や文人たちの構想で、
詩歌にゆかり深い草本類が栽培され、


園内には多数の野草が植えられ、
特に秋の七草その他、
秋の草花の美しさで知られるようになりました。

やがて、萩を中心とした秋草だけでなく、
春夏秋冬、一年を通じて花を楽しめるようになり、
1809年(文化6年)頃から
「百花園」と呼ばれるようになりました。



「百花園」の名称は、一説では、
「梅は百花に魁けて咲く」または
「四季百花の乱れ咲く園」
という意味でつけられたものだといいます。

その後、東京市に寄贈され、
今では都立公園。

昭和20年(1945)3月の東京大空襲により全焼しましたが、
昭和22年(1947年)秋に、
地元有志により「月見の会」が開催され、

また、地元有志によって
「萩のトンネル」が寄贈され、
昭和24年(1949)5月に復興再開。

幾度か変転を経ながらも、
園内の景観は今なお旧時の趣きを保っており、
江戸時代の花園として
その景観、遺跡ともに重要であるとして
昭和53年(1978)10月13日に、
国の史跡および名勝に指定されました。

園内には
福禄寿尊碑、亀田鵬斎墨沱梅荘記碑など
合計29の句碑や石柱があります。




この湧き水は、どこから来るのでしょう。

萩のトンネルは全長約30m。
  

現在、「萩まつり」が開催中。


10月12日まで。