先日、この駅で降りて、

案内板のとおり歩いて、

ここへ。

皇居東御苑。

平川門など、入り口は3つありますが、
今日は、東京駅に近い、大手門から。
お濠に挟まれた所に
入口が。

皇居警察というのがあるんですね。

ここで荷物検査。

先日、NHKの「ブラタモリ」でやりましたね。
↓のような皇居の一角が東御苑。

皇居造営の一環として、
皇居東地区の一部を附属庭園として整備することとなり、
昭和36年に着工し、昭和43年9月に完成したもので、
面積約21万㎡の庭園。
昭和43年10月1日から一般に公開されています。

以前、乾(いぬい)通りの紅葉見学の後、
少しだけ訪れたことがありますが、
今日は本格的訪問。
日本の城の特徴、石垣。

ペルーのクスコを思い出しますね。

同心番所。
番所とは、警備詰所のこと。
ここは、主として、「同心」と呼ばれる武士が詰め、
登城者の監視に当たっていました。
百人番所。
本丸への道を警固する詰め所。
20人の与力と100人の同心が交代勤務。
大番所。
大手中之門の内側に設けられた警備詰所。
などを見ながら中へ。
庶民が江戸城に入れるとは、いい時代。

豊かな林。

休憩のベンチも整備されています。

木々の向こうに見えるビル群。
外国人が7~8割、いや8~9割がインバウンドの方です。

富士見櫓。

櫓とは、城の隅など重要箇所に造られた防御施設。
現存する3つの櫓の一つ。
将軍が富士山や両国の花火、品川の海を眺めたと言われています。
襖戸に松と千鳥が描かれた長い畳敷きの廊下で、
忠臣蔵の発端の刃傷事件が起こりました。
富士見多聞。

「多聞」とは、長屋造りの防御施設です。


石室。

大奥の脇にありました。
火事などの非常乃際に大奥用の調度などを避難させた場所と考えられています。
芝生が広がっています。

その中に、こんなものも。

こんな所に砲台があったんですね。

何?

ここを登ると、展望台。

こんな景色が見られます。
徳川家康の入城以来、3度天守が建てられました。
最も規模が大きかった寛永度天守は、
高さが58mあったと言われています。
明暦の大火(1657年)により焼失した後、
再建の話も出ましたが、
それより江戸の町の復興優先と、
後回しにして、そのままです。
その時の議論では、
既に太平の世になり、
戦さのための天守は不要との意見もあったと言います。

上はこのような平面が。

少し離れた所にある、ここの中に、当時の姿が展示されています。
横から見たところ。

目の前の芝生は本丸跡。


ここに大奥もありました。

一時期、桑畑だったこともあります。

大正皇后が蚕を飼っていたため。
続きは、また今度。























