[書籍紹介]



「ツミデミック」は、
ツミ(罪)+パンデミックの造語
コロナが「パンデミック」(世界的な規模での病気の大流行)だった頃に、
何らかの「罪」に関わった人たちの物語、6篇から成る。
                                        「違う羽の鳥」

大学を中退し、夜の街で客引きのバイトをしている優斗。
ある日、バイト中に話しかけてきた大阪弁の女は、
中学時代に死んだはずの同級生・井上なぎさの名を名乗った。
なぎさは線路に進入し、回送列車に轢かれて死んだ。
その後、踏切におばさんが現れるという噂が立ち・・・

「ロマンス」

子育てに疲れた主婦の百合に
密かな楽しみが生まれた。
近所を配達しているフードデリバリーの
美貌の男子に会うために、
デリバリーを注文するのだ。
だが、目的の男子は現れない。
逆に日頃配達して来る男に誘いをかけられて・・・

「燐光」

主人公の唯(ゆい)が高校の教職員駐車場の松の木の下で目覚める。
高校の正門に向かい、
帰宅中の生徒たちとすれ違うが、
だれも唯には気づかない。
というか、生徒たちの身体をすり抜ける。
どうやら唯は死んでいるようだ。
15年前に死に、遺体が最近発見されたらしい。
やがて親友のつばさと当時の杉田先生の交流の場に出会い、
実家に訪れ、
自分の死の真相を知る・・

以上の3篇は、暗い陰鬱な物語。
次の3篇は救いがある。

「特別縁故者」

調理師の職を失った恭一は家に籠もりがち。
ある日、小一の息子・隼が遊びから帰ってくると、
聖徳太子の描かれた旧一万円札を持っていた。
近隣の一軒家に住む老人からもらったという。
翌日、恭一は澄まし汁を作って老人宅を訪れ、
特別縁故者になって、その財産を得ようと謀るが・・・。
この偏屈な老人の正体が分かり、恭一にも救いが訪れる。

「祝福の歌」

高校生の娘が妊娠し、生むと言っている。
相手は同級生。
生む意志は強い。
一方、隣家の主婦が妊娠していたはずなのに、
子供の顔は見えず、引き籠もりになった。
やがて、隣家の事情が見えて来ると同時に、
自分の出生の秘密まで明らかになって・・・

代理母と養子縁組という現代風の問題を扱いつつ、
最後の読後感は、すこぶるいい。

娘をはらませた同級生が
「責任をとります」と言った時の主人公の父の述懐。

その瞬間、達郎の胸には
乾いた哀れみのような感情が広がった。
こいつは、本当にまだ知らないのだ。
人生の厳しさなど何ひとつ。
だからこんな言葉を恥ずかしげもなく吐ける。

(中略)
堀くんの青さは五十男の神経を
えもいわれぬ不快さで逆撫でした。
最初から騙すつもりの嘘より、
ついた時点では本心だった嘘のほうが悪質だ。


「さざなみドライブ」

郊外の駅で集合した4人の初対面の男女。
迎えに来た車に乗って、目的地に向かう。
その途中、集まった彼らは
集団自殺に応募した人たちだと分かる。
それぞれパンデミックで人生を狂わされた人たち。
練炭の不完全燃焼で一酸化炭素中毒で死ぬのだ。
途中、参加者に有名俳優や未成年者が混じっていることに気づく。
一人は売れない小説家で、
パンデミックは自分が小説に書いたから起こったと言ったりする。
自殺現場に到着すると、一台の車が来ていて、
それは既に心中した人が乗っていた・・・

これも集団自殺という題材を扱いながら、
ほっこりした終幕を迎える。

2024年上半期の直木賞受賞作
選考委員の評価は次のとおり。

京極夏彦  
「犯罪めいたものごとは起きるが、それも主題ではないだろう。
むしろ日常への回帰という安心できるパターンの反復なのである」
「視点人物の内面に踏み込み過ぎることなく、
離れ過ぎることもない。
その加減は絶妙であり極めて真っ当でもある。
願わくはこの安定感の上にひりつくような毒を盛りたいと
思うのは贅沢だろうか」


角田光代  
「どの小説もみごとに技巧がこらされていて、
どれも色合いが異なり、
なおかつ現実味を失っていない」
「遠くの国の戦争も、隣家で起きていることも、
あるいはニュースで見る犯罪も、
自分とまったく関係のないどこかのことではなく、
今生きている私にあらゆるかたちでつながっているように思わせてくれる、
そうした日常的なバタフライ・エフェクトがみごとに描かれていて、
そのちょっとした効果は読み手にまでも確実に届く」
「圧倒的な支持で「ツミデミック」の受賞となった」


三浦しをん  
「コロナ禍を小説のネタなどとは決して思っていない、
誠実で真摯な姿勢に心打たれた。」
「一穂氏の小説はうますぎるがゆえに、
よさを言葉で説明するのがむずかしく、
ただ感じ、味わうほかないのだが、
登場人物になりきり、
自分とはまったく異なるひとの日常を生きたかのような、
圧倒的な没入感を私は覚えた。
ずるさもまぬけさも、
断罪や価値判断されることなく、ただ「ある」」


林真理子  
「コロナ禍がところどころに用いられているが、
その加減のよさが作者の技量を示している」
「どの作品もバラエティにとみ完成度も高い。
が「燐光」の一作だけが、かなり唐突な幽霊話で、
全体の香気を落としているようで残念であった」


宮部みゆき  
「この作品が受賞したことで、
直木賞の歴史に新型コロナウイルスを「記録」することができました。
パンデミックによって「変わってしまった」「失われてしまった」
「歪んでしまった」日常を描いた六つの短編を集めた本書を読む多くの方々は、
登場人物たち誰かの物語の上にそれぞれご自身の体験を重ね、
またそれぞれの「消化」や「昇華」のけりをつけた上で、
今後も記憶し続けることでしょう」


浅田次郎  
「思わず膝を打つ短篇集であった。
文章はよく研がれて余分がない。
視点者の内面を文学的に書いているのはこれだけと言ってもよかろう。
つまり、小説らしい小説であった」
「この作品集に収められた短篇はいずれも、
今日のささやかな悩みを上手に摘出し、
現代社会の文学的解釈に成功している」


高村薫  
「等身大の若者たちや家族の姿は、
どれもエンターテインメントとしての過剰さや歪さを纏わされていて、
実はけっして等身大ではないが、
そのセルロイドのような人工的な手触りが読者を刺激するのだろう」
「後味の悪さも異常さも短編の魅力の一つではあるが、
個人的にはここまでつくり込まなくても、と思う」


桐野夏生  
「タイトルが、パンデミックのもじりであるとは、
指摘されるまで気付かなかった」
「全体的に薄い味付けである分、
この作者のさらりとしつつも、
こくのある旨みがよく出ている。
「特別縁故者」が秀逸だった」