昨日のブログを書いていて、もうひとつ呼び覚まされた記憶があります。そういうわけで無事、山口への「一人旅」を終えて帰ってきた空(https://ameblo.jp/luke70/entry-12371437539.html?frm_id=v.mypage-checklist--article--blog----luke70_12371437539)。羽田に迎えにいくと、CAさんに伴われ、おばあちゃんに「飛行機の中で読みなさい」と買ってもらったコロコロコミックを抱えて満足げに歩いてきました。
「おかえりー。一人旅、どうだった?」と聞くと「すごく楽しかったよ! でも、よかったー」とホッとした顔を見せるので、「何が」と聞くと「飛行機が落ちなくて。ほんとはちょっと心配だったんだ」と言うではありませんか。
えー!! そうなの? そんなこと心配してたの?! と驚くと同時に、私は、もうダメだ、来年からは一人で飛行機には乗せられない、と思いました。
というのは、実は、私は心配していたからです。それが現実的な「しなければならない」心配ではないということはわかっていました。そのレベルで心配し始めたら何もできないということも。
でも私は、以前読んだ『喪の途上にて』という日航機123便の事故を題材にしたグリーフワークについての本の中で、小学生の息子さんを一人であの飛行機に乗せていて亡くしたお母さんの嘆きが深く心に刺さっていて、今回、同じように空を一人で飛行機に乗せるときにも、そのことが脳裏をかすめていたのでした。
幼い息子が、ダッチロールを続ける飛行機の中で一人で恐怖に耐えていたと思うとやりきれない。その時、自分がそばにいてやれなかったことが許せない、というその嘆き。後に、その男の子の隣には若い独身女性が座っていたことが分かり、その女性のお母さんが「うちの娘は子どもが好きだから、きっとお宅の息子さんに声をかけて、2人で手をつないでいたに違いない」と言ったことばに、私も慰められるように思いながらも涙をこらえることができませんでした。
だから、空を一人で飛行機に乗せるのは嫌だなと思っていましたが、当の本人は「飛行機、一人旅」というプランにそれはもうワクワクしていて、墜落なんてことはほんのちょっぴりも頭をよぎらないようすで本当に楽しみにしていたので、「そのレベルで心配し始めたら何もさせられない」心配でその楽しみを摘んではいけないと自分に言い聞かせていたのです。
それなのに、実は空も内心「飛行機が落ちたら」なんて心配をしていたなんて! それをおくびにも出さず、旅がすっかり終わったあとで安堵の表情でやっと明かすなんて。いや、これはもう、来年は無理だわ。これでもし万が一、万が一のことがあったら、私、もう生きていけない。
ということで、次の年から空の「一人旅」は新幹線になりました(笑) ところがどっこい、実はこちらのほうが実際的なハードルはずっと高いんですよね。飛行機みたいにCAさん付き添いシステムみたいなのがないから。そして案の定、事件は起きました。(つづく)