《Lucius e Luca e Blu》 -4ページ目

感謝されたいからではないのだけど

事務方のスタッフが、久しぶりに私を訪ねてやってきた。

先日、同僚医師が急逝した話に及んで、

互いが長く同じようにして親しくしていた間柄だったので、

思いを共有し、お互い込み上げるものを抑えることができなかった。

その後、私の診療を受けて帰ったのだけれど、

今朝気が付くと、メールが届いていた。




○○先生御机下

おはようございます。
お疲れ様です。
昨日は、お疲れのところ、本当にありがとうございました。

昨日答えられなかった英訳です。
enhancement = 増強

○○院は、とても雰囲気が良く、本当に癒されます。
全て○○先生のご指導のおかげです。
ありがとうございます。日々感謝です。

取り急ぎお礼まで。
返信不要でございます。

事務所 ○○ 拝



私の放任主義でスタッフを育てることには

残念ながら力を注げていない。

気を付けているのは、目配りくらいだろうか(笑)

普段、言葉を交わす機会の少ないスタッフから

こんな言葉を頂戴すると、

これでもよかったのかな・・・などと思うことができる。

帰り際まで、礼を述べてくれていたのだけれど、

まさか、さらにメールが届くとは思ってもいなかった。


人は言葉を投げ合うことでつながっているのだと思う。

電話で会話した言葉はややもすると、簡単に忘れてしまうことがある。

特に事務的な伝達の類であればあるほど。

しかし、書かれた言葉は人のこころに残る。


私は親しい人ほど、電話で用を済ませることで感情の行き違いを

生んでしまっているのではないかと思っている。

可能な限り、言葉が形として残る手段を使うことを勧めたい。


大切な人間、つまり親しい人ほど、自分は手書きの手紙を送るようにしている。

なぜなら、そこにはその時の情景までをも書き写すことができるから。

私が逆の立場だったら、

その手紙は手に取って何度も読み返せる。

理解してもらいたいと意識していない部分、つまり息遣い、

行間を読むことさえできるのではないかと思っている。


日常の業務で、私の外来に来られた人の問診票の内容はもちろん、

その方が書かれた文字の特性から、性格やその時の生命力、精神状態を

前もってある程度、窺い知ることができるのではないかとも考えている。


言葉には魂が宿るというが、発せられる音である言葉もそうであるが、

書き記された言葉には、その文字が存在する限り、永遠の命を帯びているということを

私は信じて疑わない。




映画音楽の作曲家になる道を歩み始めた友人のStefano
いつかコラボレーションできたらなぁ